課題の教科書

Critical Realism for All Leader

権利の意味は「権理」に近いですが賢く行使するポイントはこれ

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こんにちは。ポエタです。

1 はじめに

権利という言葉はよく聞きますが、どう使えばいいのでしょうか? 

権利の行使には一定の原則があります。

権利の自由な行使は義務によってせき止められる。

権利の賢い使い方は、考えると「課題の教科書」の理論編にふさわしい題材でした。

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2 権利は義務と衝突する

権利と義務という言葉があります。権利と義務は衝突しがちです。街頭で好き放題言いたいことを言うヘイトスピーチは、表現の自由という権利の行使かもしれない。しかし、著しく公序良俗に反する言い方で人をなじると問題です。権利は一定の制限を受けることがある。

権利を行使するときに、法律や制度で権利が認められるからといって、自由に行使してよいというものではない。もちろん、認められた権利なら、行使する権利があるでしょう。

ですが、権利の行使には一定の義務がつきまといます。権利と義務がせめぎ合うようになると、行使する権利の限度が問題になります。そこで、権利行使はどのような範囲であれば、認められるのでしょうか。

 

3 権利を主張するには論拠を合理性に求める

「権利」という言葉は、明治の頃の日本に移入してきた西洋のrightの概念の翻訳です。本来、「権利」ではなく「権理」と訳すべきだったという主張は、最近時々耳にします。

単なる利益の追求ではなく、道理の追求こそが、rightに含まれるニュアンスだ、という主張です。

権利が単に利益の保証だとすると、法律や制度が認めた権利は、どんな場合でも利益を得られるまで無制限に行使できるものになってしまいます。これでは、その人が守るべき義務との衝突を招きます。もっとも、権利と義務との衝突は、それ自体悪いことではありません。

しかし、権利の範囲をどこまで認めるかを議論するときには、権利の根拠を、単なる法律の条文や制度の規定ではなく、れっきとした合理性に求めなければなりません。そこで単に法律の条文を示しても、相手は別の条文を示して対抗するかもしれません。

単なる条文という事実ではなく、理屈の通った根拠を示すから、義務を主張する相手方も納得して引き下がります。きちっとどういう根拠で権利を主張するのかを説明できれば、「それは義務にもまさる正当な論拠ですね」となります。

権利を行使しようとすると、誰かが義務を持ち出してくる。それを当たり前と思った方がいい。その上で、権利の根拠を合理的に説明すれば、相手も引き下がるでしょう。

しかし、合理性というのもわかりにくい。権利の根拠となる合理性とは何でしょうか。

 

4 課題という試練

ここで言いたいのは、rightの訳語を権利から権理に改めるべきだということではありません。また、権利と義務のせめぎ合いが起きることが問題だということでもありません。

権利を行使するときは、かしこくやりましょう、という提案です。「ここで条文(あるいは規定)にこう書いてありますから、自由に利益を認めてもらいましょう」という発想では、世の中そう簡単には通りません。多くの場合、別の条文には別のことが書いてあります。

詳しく具体的に言えないのでもどかしいのですが、課題の明確化が権利に論拠をもたらします。例えば、相手の課題を明らかにすれば、自分側の権利を自明のものとできるでしょう。あるいは、自分の課題を明らかにすれば、相手との関係で自分の取り分を確定することもできるでしょう。

「ここにこう書いてあるので濡れ手に粟ですね」とはなりません。誰が何をしなければならないかという課題の考え方が軸にあって、初めて権利の範囲は定まるでしょう。明確な課題を中心として、一人ひとりの権利が定まり、利益もおのずと配分されるでしょう。

権利の上にあぐらをかいている人は、課題のことなど上の空です。権利があるから何もしないでも利益が転がり込むと思っている。しかし、権利とは厳しいものです。課題が明らかになるときの、生々しい臨場感をものにしなければ、自分の権利を守ることはできないのです。その厳しい試練を乗り越えた人だけが権利をかしこく使えると思います。

 

5 まとめ

  • 権利の範囲は合理的根拠で決まる
  • 課題を明らかにするのがポイント
  • 権利はかしこく使おう

ポエタ

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