課題の教科書

Critical Realism for All Leader

カント『永遠平和のために』を単なる戦争防止論とは読めない理由

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こんにちは。ポエタです。

哲学者にもリアリズムがあります。

18世紀の哲学者カントは『永遠平和のために』で政治上の問題を論じました。

読んでみると、カントは戦争防止のための条件を論じています。

しかし、よく考えると、「永遠平和」の意味は、単なる戦争防止ではありません。

『永遠平和のために』を事例として、現代世界における永遠平和の課題を考えます。

1 はじめに

『永遠平和のために』はカント晩年の著作です。カントの代表作である哲学書には『純粋理性批判』などがありますが、難解で文量が多いです。『永遠平和のために』は文庫版で110ページちょっとの小著です。

小著ですが、内容は読みやすいとは言えません。とは言え、わからないながらも、読み進めると、オッと思う箇所に所々出会います。そして、その結論も、実に説得力があります。

今回の記事では、『永遠平和のために』の注目点を紹介したいと思います。そして、現代世界に生きる私たちが考え直すべき、「永遠平和」の意味をとりだしたいと思います。

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2 カント『永遠平和のために』の注目点

(1)カントのアイデアは現代世界に活きている

カントは1724年にプロイセンケーニヒスベルクに生まれました。『永遠平和のために』を刊行したのが1795年。死を迎える1804年の9年前です。

カントの生きた18世紀ヨーロッパは戦争が絶えない時代でした。カントは乱れた世情に対する真剣な問題意識で、『永遠平和のために』を著したと思われます。そのためか、『永遠平和のために』に書き込まれたカントのメッセージは、リアリズムを追究する姿勢で貫かれています。

共和制国家が戦争を自制する

カントは、国家が共和制をとることが、永遠平和の条件であると述べます。その理由を次のように述べます。 

  • すなわち、戦争をすべきかどうかを決定するために、国民の賛同が必要となる(この体制の下では、それ以外に決定の方途はないが)場合に、国民は戦争のあらゆる苦難を自分自身に背負いこむ(たとえば、自分で戦う、自分自身の財産から戦費を出す、戦争が残した荒廃をやっとの思いで復旧する、こうした災厄をさらに過重にするものとして、最後になお、平和であることすらも苦々しくさせるような、[たえず新たな戦争が近づいているために]決して完済にいたらない負債を自分に引き受ける、など)のを覚悟しなければならないから、こうした割りに合わない賭け事をはじめることにきわめて慎重になるのは、あまりにも当然のことなのである。(カント『永遠平和のために』宇都宮芳明訳、岩波文庫、1989年、P.32-33) 

カントの力点は、当時当たり前だった王政への批判です。王は国家の財物を私物とみなします。戦争で戦費や人命を消失しても、自分の財物を消費しただけです。責任を感じません。徴税権を使って財政を立て直す方法ならあるから大丈夫と考えます。王は戦争で危険な目にもあわないので、戦争の負の側面を肌身に感じることができません。

これに対してカントは、市民的体制で出来上がった共和制なら、国民が意思決定を担うと考えます。戦争をした場合の負担を背負うのは当の国民です。だから、戦争を自制するメカニズムが働くわけです。

現代に至って、国民主権の共和制国家は増えています。世界は、戦争を自制するメカニズムが働くための一条件が少しずつ実現しており、カントの狙いは現実化しています。

国際連合のアイデア

カントは連合制度のアイデアを提案します。連合制度は、今で言う国際連合の仕組みです。 

  • 連合制度は次第にすべての国家の上に拡がり、そうして永遠平和へと導くことになろうが、連合制度のこうした理念の実現可能性(客観的実在性)は、おのずから証明されるのである。なぜなら、もし幸運にもある強力で啓蒙された民族が一共和国(共和国は、その本性上、必然的に永遠平和を好むが)を形成することができたら、この共和国がほかの諸国家に対して連合的結合のかなめの役をはたすからで、その結果諸国家はこの結合に加盟し、こうして諸国家の自由な状態は国際法の理念に即して保障され、連合はこの種の多くの結合を通じて次第に遠くにまで拡がって行くのである。(前掲書、P.43、傍点略)

もし強力で良識にあふれた共和国がかなめの役を果たせば、連合制度は永遠平和を導くだろう、とカントは考えます。今の国際連合の仕組みをいち早く唱えたカントの先見性が見てとれます。

このように、カントのアイデアは、現代世界において一部にしろ実現しています。しかし、それで世界から戦争がなくなったわけではありません。ただし、カントの思想が、永遠平和の実現に至る階段を、一つひとつ踏みしめてきたことは確かでしょう。そこにカントのリアリズムの片鱗を見ることができます。

(2)人間の利己性を逆手にとるリアリズム

次の注目点は、カントが人間の悪の側面を、永遠平和実現のための手段と位置付ける部分です。

カントは自然の摂理が自ずと機能することで国家が樹立すると説いています。カントにとって「自然」とは山川草木のことではなく、世界に働いている「摂理」のことです。

カントが考える自然の摂理とは、自ずと実現する必然性という意味です。たとえば、カントは、国家樹立にも自然の摂理が働いていると考えています。 

  • 国家を樹立するという問題は、きわめて困難なように思われるが、悪魔の民族にとってすら(悪魔が悟性を持ちさえすれば)解決が可能であって、それはおよそ次のような問題である。すなわち、「理性的な存在者は、全体としては自分たちを維持するために普遍的な法則を求めているが、しかしひとりびとりはひそかにそれから逃れようとする傾向がある。問題は、そうした理性的な存在者の集まりに秩序を与え、体制を組織することであるが、その秩序とは、たとえかれらが個人的な心情においては互いに対抗しあっているにしても、そうした心情を互いに抑制し、公けの場では、そうした悪い心情をもたなかったのと同じような結果を生ずる、といった秩序である。」このような問題は、解決が可能であるはずである。というのも、問題とされているのは、人間の道徳的改善ではなくて、たんに自然の機構だからである。(前掲書、P.67、傍点略) 

わかりにくい文章です。ここでカントが言いたいのは、人間は利己心が強いが、お互いルールを守った方が得である以上、法に支配された秩序を求めるのが自然の理だという点です。道徳が大事だから秩序を生もうとして協力するのではなく、まともに考える頭さえあれば、たとえ悪魔でも、自分の利益を守るために法の秩序(つまり国家)の建設に自ずと従うのだという発想です。

カントは、単なる道徳主義的な理想論を考えているのではなく、自然の摂理という考え方を持ち出しながら、リアリズムで平和を追究しています。

(3)カントの思想には課題があった

このように、カントは明確なリアリズムを貫こうとしています。そしてカントにとっては、永遠平和すら単なる理想ではなく、リアリズムに支えられたものです。

カントは『永遠平和のために』を次のように結んでいます。

  • (前略)真の永遠平和は、決して空虚な理念ではなくて、われわれに課せられた課題である。この課題は次第に解決され、その目標に(中略)たえず接近することになろう。(前掲書、P.111) 

カントにとって永遠平和とは空虚な理念ではなく、課題でした。

では、永遠平和は、いつ訪れるのでしょうか? もし世界に戦争が全く起きていない状態が訪れたとして、永遠平和だと断言できるでしょうか? 今は平和でも十年後も平和である保障はありません。つまり、永遠平和は実現することのない理想です。

カントは、この点をわかっていたと思います。引用箇所を再確認しましょう。永遠平和の目標に「たえず」接近する、という言い回しに、カントの慎重さが表れています。たえず接近するとは言っても、到達するとまでは言っていません。

では、なぜそれを目標に掲げるのでしょうか。永遠平和を目標とすれば、そのための課題が生まれてきます。課題のないところに政治は存在しません。政治家は永遠平和を目標とすることで、政治家としての存在意義を明確にできます。

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3 カントの平和論が積み残した論点

(1)「永遠平和」の意味内容は不確かである

しかし、政治の目標なら他にも候補があります。国益、経済発展、自分の名声などです。政治家は、なぜ永遠平和を目標とするべきなのか。つまり永遠平和の意味とは何か。

カントは「永遠平和」の意味を決定づける具体的な価値定義をしていません。永遠平和の価値定義は、哲学的な思想家(Thinker)が取り組むべき課題であると思います。

(2)戦争の動機を断つ

それに対して、永遠平和の意味は、自明だと考える人も多いでしょう。その意味は、戦争がない状態が永遠に続くことです。

では、なぜ人は争うのでしょうか。永遠平和が「永遠に戦争がない状態」なら、永遠平和を希求しない人はいないはずです。しかし、今は永遠平和の状態ではありません。

人間は、永遠平和という理念には反対しません。しかし、今の平和のあり方に不満がある人が戦争を起こします。人は今の不利益な状態に甘んじて得られる利益より、戦争した時の利益が勝れば、戦争を始めるでしょう。その時「永遠平和」は無力な理念と化します。

ならば、いい意味で逆手にとって、戦争を起こす動機を、当事者の利己的な判断を利用して断つことができればよい。永遠平和の意味は、「利己的な判断に基づくと戦争をする動機がない状態」と言えるでしょう。それはどんな状態でしょうか。例示します。

戦争が絶対悪

たとえば、戦争を仕掛けると人類が滅亡する状態が実現すれば、戦争を起こす動機は断たれるでしょう。戦争が世界的な核戦争を誘発する状態になれば、誰も戦争は起こしたくなりません。しかし、それで平和が続いたとしても、核兵器がなくならないので、人々は核兵器の脅威に「恐怖」を感じながら暮らさなくてはなりません。

戦争が損失

戦争をすれば、貿易や投資が滞り、当事国が経済的な損失をこうむることが明らかであれば、戦争を起こす動機は失われます。グローバル経済が発展し、各国がともに繁栄し、経済的利益を享受する限り、戦争は防止されるでしょう。しかし、グローバル経済から利益を期待できないと判断した国は、戦争する動機に目覚める可能性があります。

戦争に勝敗リスク

戦争しても、必ずしも戦略目標を達し得ない不確実性(リスク)があれば、戦争を起こしづらくなります。少なくとも小国は強大国に対して、戦争を仕掛ける気にはなりません。しかし、強大国は、戦争が起きた場合の勝敗をコントロールしながら、小国を言いなりにするかもしれません。

(3)「平和」の意味

この70年間、世界的な大戦争は起きていません。それは、カントの共和制国家や国際連合に基づく平和構想が一部実現したからかもしれません。そして、先ほど述べた、利己性に基づいて戦争の動機を薄める状態が、ある程度実現したからかもしれません。

ただし、今現在の状況は、理想的ではないと思います。理由は三つあります。

  • 世界戦争には至らなくても、紛争や武力衝突は起きている
  • 国同士が争う方法が戦争以外に多様化している
  • 一見平和的だが不公正な争いが起きている

一つ目は、報道を見ればよくわかると思います。

二つめは、国同士の争いとして、戦争は手法としてすでに古典化していることを意味します。為政者も歴史に学んでいます。戦争というリスクをとるよりも、政策手段を講じて、資源・情報・評判などを獲得することで、安全に国益を徹底追求する方が、合理的だと考えるでしょう。

それが公正な手段に基づく限り、とりあえず問題ではありません。しかし、そのような国益追求が不公正な手段に基づく場合、果たして真に「平和」と言えるのか。永遠平和が「永遠に戦争がない状態」という意味なら、これも平和的なのかもしれません。

先ほど、永遠平和の意味は、「利己的な判断に基づくと戦争をする動機がない状態」だと言いました。また、当事者の利己的な判断に沿う形で、自ずと戦争の動機をなくす状態にできれば、平和は維持できるだろうと述べました。

しかし、ここで起きている問題は、そのような目論見をはるかに超えています。まさに、不公正な手段も辞さない、利己性そのものが問題なのです。利己的判断に基づいて平和が維持される仕組みなら、不公正な利益追求でも、利己性が尊重される限り、ある程度合理化できる余地が生じてしまいます。なおかつ、平和という果実をも受け取ることができる。

言っていることがわかりにくいですね。要するに、今の世界秩序に貢献しているであろう利己性起点の発想の裏をつく問題があります。「各国がそんなに平和を大事にするなら、どんな悪いことをしても戦争にはならない。だから最大限利己的に振る舞うことが得だ。」そう考える国がもし出てきたら、かつて直面したことのない問題になります。これは人間の利己性に頼りきるリアリズムの限界でもあります。

 

4 最後に

(1)平和に加えて、正義

たとえ平和であっても、不公正な手段が横行してよいのか。これはカントの唱えた平和論が十分応えきれていない問題だと思います。ただ、カントが全くこの問題に応えきれないとは思いません。

先ほど述べた現代固有の新しい問題は、利益をどのように分配すべきか、という論点を考える正義論に属します。普遍的な法の原理と隣り合わせの問題設定でしょう。

カントは法と正義の問題について無知だったとは思いません。むしろ、カントの『永遠平和のために』を、戦争の防止に目的を絞って読み込む、読み手の解釈のほうに限界があるのだと思います。カントは『永遠平和のために』の中で、何度も法について言及しています。

カントの『永遠平和のために』は、20世紀後半の世界秩序を目論む先見性を秘めていました。しかし、21世紀の現代において、新たに生じている問題を解決するには、本格的な読み直しが必要だと思います。

しかし、平和と正義は両立しがたいところがあります。人間は、正義を実現するためなら戦争も辞さない発想をとることがあります。一方で「(正義に裏打ちされた)権利を主張するより、仲良く平和にやりましょう」という発想も根強くあります。

現代の政治家にとって、「永遠平和」という課題の価値定義は、単なる平和状態の持続ではなく、平和と正義の両立に移っています。すでに政治家の課題は高度化しているのです。

(2)まとめ

  • カントの平和論はリアリズム
  • 利己性起点のリアリズムには限界あり
  • 平和と正義の両立が現代国際政治の課題

<主要参考文献>

カント『永遠平和のために』宇都宮芳明訳、岩波文庫、1989年

『NHK100分de名著 カント永遠平和のために』萱野稔人、2016年8月号、NHK出版

ポエタ

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