課題の教科書

Critical Realism for All Leader

【静思寸言7】もっと正直な幸福感を大事にする幸福論とは何か

こんにちは。ポエタです。

普段、あなたは幸福についてよく考えるでしょうか?

ポエタは、いつも考えているわけではありません。

ただ、人生の決断を下す時には、「自分の幸福って?」と思います。

いつも思うのですが、本当に何が自分の幸福になるかはわかりません。

例えば、今、何かの仕事に忙殺されると、「こんな仕事でなければもっと楽しいのに」と思うかもしれません。

しかし、そんなに忙しくない仕事をすればしたで、「前の仕事の方が条件がよかった」と思うかもしれません。

どういう評価軸で評価するかで、仕事の幸福度は異なります。

忙しさで評価すれば、今の仕事は「いい仕事」ですが、仕事条件で評価すると、前の仕事が「いい仕事」になります。

評価軸は常に変化します。

そこで、「幸せを感じるために、首尾一貫した評価軸を持とう!」と念じることに、ポエタはあまり心惹かれません。

評価軸を固定することが、果たして幸福感をもたらすでしょうか?

幸福感とは、もっと正直なものだと思います。

評価軸を固定したつもりになっても、心はうめき声を上げます。

心の正直な反応を押し殺すと、自分の自由を失いかねません。

しかし、確かに、評価軸がブレると、その度に不満を感じることになります。

自分の幸福の答えを得るのは難しいですね。

思うに、幸福を得ることは難しくても、幸福を追求することはできる。

今自分は幸福への途上にいて、幸福を得るために選択判断しているという、今の状況に実感を持つこと。

ポエタは、それが今、最低限手にすることのできる幸福のカケラではないかと思っています。

それで幸福を十分感じるかどうかは人それぞれですし、状況次第です。

ですが、少なくとも、「他人と比較して引け目を感じる」という意味での、不幸の感覚は持たずにすむのではないでしょうか。

幸福追求権は平等ですから。

「自分の幸福ってなんだろう?」そう思う時は、たいてい苦しい状況に追い込まれた時です。

ですが、そこで選択判断する権利をもつこと自体は、実に幸福なことです。

深刻で苦しい状況でも、前向きに考える人は、おそらく、選択判断すること自体の価値を熟知している人ではないかと思います。

その実、苦しいとは思います。

しかし、それでも逃げない勇気がどこから沸いてくるかと言ったら、おそらく、その人が幸福追求を諦めないからではないでしょうか。

幸福は知らない未来のどこかに眠っています。

幸福追求権は、今ここにあります。

だから今と未来は幸福がつないでいるかもしれない。

そういう本質を帯びたリアリズムをもてればよいなと思います。

ポエタ

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