課題の教科書

Critical Realism for All Leader

マラトンの戦いの勝利でテミストクレスは不器用な課題を真っ当に考えた

こんにちは。ポエタです。

今回は事例編です。

目次です。 

1 はじめに

ソロンの改革を経て、古代ギリシア都市国家アテネは、民主政国家としての地歩を歩み始めます。

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その後、クレイステネスの大改革によって、アテネ繁栄の基盤は整いました。クレイステネスの死去する頃、東岸に迫った大国ペルシアがギリシア世界に大軍を差し向けました。

次々と近隣国がペルシアの軍門に下る中、アテネはペルシアとの対戦を決断します。アテネ軍とペルシアの最初の対戦が、紀元前四九〇年のマラトンの戦いでした。

今回は、マラトンの戦いに関する経緯を明らかにし、その後数々の戦禍をくぐり抜けるアテネの強みが、何であったかを述べたいと思います。

 

2 マラトンの戦い前後の経緯

(1)達意の戦法と偶然の幸運の両方が勝因

ペルシア軍が差し向けた兵力は総勢二万五千と言われています。第一軍は一万、第二軍は一万五千という編成でした。

対するアテネは、重装歩兵九千と都市国家プラタイアの重装歩兵一千でした。アテネ軍はストラテゴスと呼ばれる将軍職十名が率いました。結果、ペルシア側の戦死者は六四〇〇人、アテネ側の戦死者は一九二人。アテネ軍が大勝しました。その勝因は主に次の五つあったと思われます。 

①総指揮権を一本化

当時のアテネの決まりでは、十人のストラテゴスが四日間ずつ持ち回りで総指揮官を担当することになっていました。しかし、多勢に無勢の状態で総指揮官をコロコロ変えていては、高度な戦術は展開できません。そこで、一計を案じ、九人のストラテゴスがあるストラテゴスに毎回総指揮権を譲渡することにしました。これで決まり事を守りつつ、総指揮権をミリティアデスという名のストラテゴスに統一することができました。

②陣形戦術が奏効

ペルシア軍は中央に兵力を集中し、右翼と左翼の兵力は抑え目にして布陣しました。対するアテネ軍は、中央を手薄にし、右翼と左翼の兵力を増強しました。アテネ軍を率いるミリティアデスには、どのような意図があったでしょうか。

アテネ軍は、あえて中央を手薄にし相手の中央部隊と激突しますが、徐々に後退します。一方アテネ軍の両翼の部隊が敵の両翼を撃破し、かつ中央の部隊を包囲殲滅する作戦を取ります。敵の布陣の逆を突いた陣形戦術がアテネ軍の勝利に寄与しました。

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③兵器に優劣

アテネ兵の槍と剣の長さはどちらも、ペルシア兵の二倍程度あり、接近戦で極めて有利であったとされています。

④ペルシア第二軍のみと激突

アテネ軍はマラトンでペルシアの第二軍とのみ対戦しました。アテネ一万対ペルシア一万五千ですから、それだけでも兵力ではアテネ側が不利でした。しかし、ペルシア軍は結局第一軍が対戦に合流しなかったので、アテネ軍にとっては幸運だったと言えるでしょう。

⑤ペルシア軍の大半が軽装歩兵

アテネ軍は総勢一万の重装歩兵で編成されていました。一方のペルシア軍の第二軍はほぼ軽装歩兵であったようです。ペルシア軍は装備でアテネ軍に劣っていました。

また、虎の子のペルシア騎兵部隊が不参加だったのも、アテネ軍の陣形戦術が効果をあげる上で有利でした。

 

このようにアテネの勝因には、戦術的に優れていた点と、相手側の事情で起きた幸運が重なったと言えます。つまり、アテネ軍の大勝は薄氷を踏む経緯で成り立っていたと言えます。

(2)ペルシア軍の弱点を突いた

マラトンの戦いの形勢は、ペルシア軍の弱点をアテネ軍の強みが巧みに突いた所に成り立っています。ペルシア軍の騎兵が不参加で、軽装歩兵のみ。ペルシア軍の手薄な両翼から囲い込むアテネ軍の戦術は、敵軍の弱みを小気味よく突いています。なおかつ、アテネ側の指揮系統の弱みを首尾よく補正しました。

このアテネ軍のアプローチは、敢えて称せば、戦術的アプローチだと思います。大勝という結果を勝ち取っていますから、見事です。しかし、悪く言えば、場当たり的対応で幸運にも恵まれて転がり込んだ勝利です。

厳しく見れば、アテネ軍は長期的視点で課題を設定して戦いに臨んだ形跡が見えません。「攻めてきちゃったから、とりあえず何とかしよう」の対応でした。それで仲間割れせず力を合わせ、工夫を凝らして勝ったからよいですが、偶然に左右された面は少なくないと思います。

(3)功労者は戦勝にぬかるんで失脚

この戦勝で、総指揮官のミリティアデスの威勢は大いに高まりました。それで気をよくしたのか、アテネの船と兵力を手中にしてパロス島に進撃しました。表向きの理由は、ペルシア軍来襲の折にペルシア寄りの態度をとったことへの戒めでした。しかし、実際はパロス出身の特定の人物への私怨を晴らすためであったとも言われています。

結果、ミリティアデスはパロス島の攻略に失敗しました。ミリティアデスは敗戦の責任を問われ、アテネ市民を裏切った罪で告訴されます。ミリティアデスは、パロス戦で受けた傷がもとで、有罪判決後に死にました。昨日の英雄が今日は罪人となって死んだわけです。

ポエタは考えます。こうして見ると、ミリティアデスの失敗は、マラトンの勝利と根っこは同じだと思います。つまり、方法において巧者であろうとするが、全体観と長期展望に基づく課題をもたないことの危うさです。

 

3 第二波に備えたテミストクレスの課題設定

(1)今度も陸戦、いや海戦!

マラトンの戦い後、アテネは世論が二分します。勝ったのだから、今後はペルシアとは外交交渉で問題を処理できるとする論陣。もう一つは、ペルシアはもう一度攻めてくるという論陣。実際は、もう一度攻めてくるのです。

議論が真っ盛りの中、マラトンの戦いにも出陣したテミストクレスは、主戦論を主張しました。それだけでなく、今度は海戦になるから軍船を大量に建造しようと提言しました。

当時のアテネの海軍力は極めて脆弱で、海軍国とは言えない状況でした。普通だったら、「陸上なら勝てることが実証されたのだから、今度ペルシアが攻めてきても、陸戦に持ち込んで勝てばよい」と考えます。

さらに、「仮にも海から来るなら、近隣のギリシアの海軍国に援軍を要請し、アテネは陸戦で敵の陸軍主力を撃破すればよいではないか」と言えば、もっともらしい。しかし、テミストクレスは、あくまでアテネ自力の海軍兵力の建設を唱えました。

(2)弱いところを突こう、いや突かれるぞ!

陸戦重視の発想は、おそらく、「相手の弱みをもう一回突けばよいではないか」という発想の延長でしょう。いえ、正確には、それは陸戦重視の発想ですらなかった。ペルシア軍の騎兵は精強でしたから。むしろこの発想は、前例踏襲型の発想でした。「もう一度、場当たり的に戦っても勝てるのではないか」という何となくの方法だのみです。

一度勝利の味をしめたアテネ市民にとって、テミストクレスの海戦重視の論は何を言っているのかわからない話だったでしょう。

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しかし、その後、ペルシア軍はギリシアに向けて陸上部隊とともに海上兵力を大々的に送り込みます。アテネが海軍力を増強しなければ、あっという間に制海権をとられたでしょう。もし周辺国の海軍が援軍として来たとしても、アテネは海戦では主導権をとれません。テミストクレスの提言通り、大艦隊を建設したアテネは、このペルシアの進撃を海で迎え撃ちます。

ペルシアは伝統的には陸軍が主力でした。ペルシアの海軍は、主に海運の伝統が長いフェニキアに多く頼っていました。おそらく、ペルシアにとって海軍は補助的兵力でした。海軍は、物資や兵士の運搬と海の交通の封鎖用です。あくまで陸戦で決戦する構えだったでしょう。

ポエタは考えます。アテネは、ほぼ海沿いに位置する都市国家でした。ペルシアの司令官が、「アテネの弱点は海にある」と目をつけたとしてもおかしくありません。

たとえ補助的戦力であったとしても、ペルシア海軍が大々的に押し寄せて来たら、海側からアテネを封鎖される恐れがありました。すると、アテネは海からの物資の補給を絶たれます。テミストクレスは、ペルシアによるフェニキアの船の活用動向を察知し、海上封鎖を防ぐため、アテネ自ら海軍力を増強することを課題に据えたように思われます。

(3)アテネの強みは課題への高度な意識

では、アテネの本当の強みは何でしょうか。それは陸軍でもなければ、海軍でもないと思います。真っ当な課題を設定し得る高度な意識です。

当初のアテネの海軍力は貧弱でした。とても海軍に強みがあるとは言えない。場当たり的に考えれば、「強みを活かす」とお世辞を言いながら、「前も勝ったんだし、今回も陸で」と言いそうになります。しかし、テミストクレスは、敵側の司令官の思考ロジックを想像し、発想の転換を察知して「次は海から封鎖して来る」という、リスクシナリオを想定したのではないでしょうか。

勝利に浮かれた人は、こういうことは考えません。変化を恐れる人は、こういう視点の転換はしません。しかし、テミストクレスは、マラトンの戦いの時のように、自分たちのあり合わせの強みでその場を凌ごうとはしませんでした。

今回は解説しませんが、紆余曲折と艱難辛苦を経て、テミストクレスはペルシア軍の第二波(第二次ペルシア戦争)を海軍力で打破します。テミストクレスは、次々と戦術の妙を繰り出し、海戦で決定的勝利をおさめ、制海権を保ちました。

 

4 最後に

(1)巧者の憂い

テミストクレスは、第二次ペルシア戦争を巧みに戦いました。後世の人は、巧者に学びたがります。しかし、テミストクレスの巧みさが際立っているのは、その前提となる課題設定が的確だったからです。巧みな戦法や戦術が活きてくるのは、大元の課題で主戦場を的確に設定できたからです。

巧者の方法は見えやすい。しかし、課題は見えづらいものです。陸戦重視の通念が支配的な状況で、海戦重視への転換を図る発想は、ある意味で「非常識」です。この発想転換を行動に移すには、多くの無理解や抵抗を乗り越えるために、膨大なエネルギーを必要とします。

海軍の主力戦力化というアテネの真の課題は、あまりに不器用なのです。アテネの海軍は貧弱だったのですから。テミストクレスの発想は、見た目不器用なのです。つまり、聞いたら反対する以前に、尻込みするレベルです。「不可能なことを言っている」です。

結果的に見れば、テミストクレスの設定した不器用な課題は、陸戦でまた巧みなことをすればよいと考える「巧者」にまさる至当性を備えていたと思います。奇妙ですが、真のリアリズムは一見すると非現実的です。

ポエタは考えます。アテネが興隆したのは、不器用でも真っ当な課題設定ができる指導者がいたからだと思います。しかし、その手法の巧みさだけが目立ったせいで、勘違いしたアテネ市民は多かったと思います。「巧みなことをすればいいんだ」という解釈です。そして、後世に至り、皆が方法をもてあそび始めたから、アテネは衰退したのだ、ポエタはそう考えます。

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我々も、単に方法に巧みであろうとすれば滅ぶでしょう。今の世は巧者が賞賛される時代です。いわば危機の時代に突入していると思います。そういう時代こそ、不器用でも真っ当な課題を設定する必要があるのではないか。そのためには、視野を欠くことのない思考力と勇気、そして高度な意識を備える必要があると思います。それが、我々が歴史に学ぶことではないかと思います。

(2)まとめ

  • 手法と幸運が導く勝利に味をしめたミリティアデスは失敗した。
  • テミストクレスの課題設定は、不器用そうだがリアリズムに根ざしていた。
  • アテネの強みは、課題設定に取り組む高度な意識である。
  • 我々も「方法巧者」に頼らず、不器用で真っ当な課題に取り組もう。

<主要参考文献>

塩野七生ギリシア人の物語I民主政のはじまり』新潮社、2015年

ヘロドトス『歴史(中)』松平千秋訳、岩波文庫岩波書店、2016年

ポエタ

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