課題の教科書

Critical Realism for All Leader

「失敗を糧にする」は本当に今時敬遠されがちな努力論からくる課題なのか

こんにちは。ポエタです。

今回はコラムです。

目次です。

1 はじめに

「失敗を糧にしろ」とは、よく聞くアドバイスです。ですが、失敗したくないのが人情です。そんな本音がバレると、「根性が足りない」の烙印を押されてしまうかもしれません。それを避けたいのも人情でしょう。

「失敗を糧にしろ」には、栄光の戦後昭和から続く「努力論」の響きが伴います。昨今では、努力論は敬遠されがちのようです。「効く教養本」「それやって意味あるの?」なんていう、フレーズが世の中のあちらこちらから聞こえてきます。

こうしたフレーズは「成果」や「狙い」を言い換えたものでしょう。しかし、フレーズの言い換えには、きっと深層心理が含まれています。その深層心理とはつまり、努力不要の論への期待です。

しかし、「失敗を糧にする」は、本当に今どき敬遠されがちな努力論なのでしょうか。そして努力はマジで不要なのでしょうか。このことを今回の記事では考えたいと思います。

 

2 「失敗を糧にしろ」の昔風のニュアンス

(1)逆境が人を育てる

「昔の人はなあ。貧乏で学歴がなくても、精一杯努力して、世界にも誇れる成果をあげたんだ。お前はよっぽど恵まれてるんだから、頑張れ。」こういうお説教は誰しも聞いたことがあるのではないでしょうか。「逆境が人を育てる」の逆境論です。

確かに結果的には逆境が人を育てた事例はたくさんあります。しかし、「説教する人に勘違いしてほしくない」と思うのは、逆境にある自分が不条理感を抱いていることまで否定される道理はないことです。逆境にいる自分は不条理感を抱きます。それで暗い表情にもなるわけです。そういう自分を励ますつもりか知りませんが、(したり顔で)逆境論を言われると、げんなりします。

そして、もっとも、過去の逆境をはね返して成功した人物たちも、きっと不条理感はひしひしと感じていたはずです。不条理感こそが育つ原動力です。それなのに、悩んでいるこちらの姿を見たくないばかりに、「不条理感」を無くす狙いで、「逆境論」を言う人を近づけたくないのは、誰しも同じではないでしょうか。

(2)逃げない勇気

「どんなに仕事が辛くても逃げるな。」こういうお説教はいたるところで聞きます。しかし、「逃げるって何?」「できないものはできない」と思うのも人情です。

「逃げない」というのは、日露戦争の二◯三高地への突撃作戦みたいに、無謀な戦いを無闇に継続することでしょうか? そういう場合に単に「逃げよう」とは言いたくないですが、「発想を変えよう」と勇気を出して声をあげる必要はあるのではないか。

相手に対して「逃げるな」と言うのは簡単だし、相手をその場に釘付けにして、立ち往生させることができます。しかし、逃げずに何をするのかが重要です。

「失敗を糧にしろ」を「逃げるな」と言う意味で言うのなら、発想をどう変えて何に取り組むのか、課題が明らかでなければなりません。おそらくお説教する人たちも、本当はそう言う意味で言っているのかもしれません。しかし、形骸化したお決まりのフレーズを連発することが風習と化して、真の狙いを置き忘れていないか。そう思うことがあります。

(3)失敗は成功のもと

「失敗は成功のもと。」これもよく聞くフレーズです。しかし、少しいじけたことを言うようですが、このアドバイスを連発する人は、成功のもとを言いません。「失敗からお前が学べ。俺は知らん。」という本心を、綺麗にお世辞でごまかします。「結局最後は、お前の努力次第」という努力論が、自然に立ち込めるための舞台装置が出来上がります。

 

以上挙げた3つのニュアンスは、全部いじけた根性で言っています。すみません。ですが、ポエタが言いたいのは、そういうことではありません。三つのフレーズは全部正論です。しかし、正論は言い続けていると、余計なニュアンスで錆び付いてしまう。正論を取り繕いながら、救いのない檻に獲物を追い込むだけになってしまう。それでは、若者の「努力離れ」に拍車がかかってしまうのではないか。これがポエタの問題意識です。

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では、なぜ失敗が必要か、真の理由を次に考えたいと思います。

 

3 なぜ失敗が必要か

(1)失敗は成功のヒント

「失敗は成功のもと」と同じことを言っています。ですが、ヒントの中身が大事です。

  • 失敗した理由を考える
  • 経験がノウハウになる

ポエタは、ブログを運営していて思うのですが、最初は効率的に成功地点に一直線に向かいたいと思っていました。しかし、思い通りにはいかず、失敗します。その時は残念な気持ちに襲われます。

しかし、取り組んでいる間に、時が過ぎれば、過去の失敗にこだわって悩む心は、いつの間にか消えています。それでちょっとは前に進んだかが重要ですが、多分ちょっとは進んでいると思っています。

失敗したら、失敗したで、失敗した理由を考えます。理由が絞り込まれてきたら、次やることがはっきりします。その改善に取り組んでいるうちに、失敗したことは、どうでもよくなります。

そして、失敗から時間が経つと、「要はこれが大事なんだ」と語るネタが増えていたりもします。

ささやかな経験でしかありませんが、ヒントの中身の紹介でした。

(2)今ある限りで希望を見出す

失敗は、好むと好まざるとに関わらず、やってくるものです。どんな有能な人でも、こっそり失敗しています。単に隣にいるだけでは気づかないのです。ですから、失敗は常にあるものです。

失敗が常にあるものなら、その失敗を自分の糧に変える。説教しないつもりだったのですが、(あえて説教させてもらうと)今ある限りで希望を見出すのが「芯の強さ」です。「失敗を糧にする」のは、無いものねだりをしないのと同義だと思います。

今どき、スタイリッシュな商品やサービスが多い時代です。多分、若い人は「エレガンス」を貴ぶ精神を基調としている。しかし、その「エレガンス」とは、儚さともろさに引き立てられた美のことではないです。「芯の強さ」だと思います。

芯の強い人は、どんなに強い風が吹いても、姿勢の傾きがサマになる。その瞬間が偶然にも優雅なのだと思います。

(3)失敗の意味は現状に満足しないことだけ

「世の中失敗だらけ」「自分も失敗しかしていない」、と成功者はよく口にするようです。しかし、それを聞いても、「あなたはそうかもしれないけど・・・」と言いたくなります。

経験の内、十中八九が失敗なのは、その通りでしょう。しかし、その真意が重要です。それはつまり、現状に満足しない限り、今起きていることは全部失敗なのです。「じゃあ失敗しても当たり前」「失敗ならいくらでもしてやろう」、という気になれば、しめたものです。

これを成功者風の人が説教しても多分、意味がないです。自分で気づくかどうかです。あなたは現状に満足しますか?

 

4 失敗を糧にするためには

(1)失敗を認める

何をもって失敗としますか? 失敗を糧にするにも、失敗したかどうかの判定が重要です。

例えば株式投資で、失敗したと思わなければ、投資スタンスを見直すことはないでしょう。早めにスタンスを見直せば、正常な状態に戻れるかもしれません。

特に一人で悩んでいるときは、自分が失敗したという健全な判断を下せない。それで内心失敗かもと思いながら、ズルズル事態を悪化させる。最後は音を上げる意味で、「失敗だ」と声を出す。

こういうことを避けるためには、あらかじめ目標を立てておく必要があります。失敗の定義もいろいろあるとは思います。しかし最もわかりやすい失敗の定義は目標未達です。

少しややこしいことを付け加えると、目標を達成したとしても、すぐに次の目標を設定すれば、その時点で、あなたは失敗中です。失敗とは、現状に満足しないことです。常に失敗の只中にいて当然です。

それはともかく、目標を常に立てておけば、自分が失敗したかどうかの判断は、客観的に下すことができます。失敗の判定がちゃんと出せれば、理由を考え、成長することができます。

(2)課題のネタにする

課題は、常にクリエイティブな狙いのもとで変化するものです。課題の固定化は避けなければなりません。課題をクリエイティブに活性化させるための、かっこうのネタは失敗です。

中には、失敗したと見るや、ネガティブな調子で批評する他人がいるかもしれません。しかし、そんな時に感情的に反応する前に、相手に課題を言ってあげましょう。ぐうの音も出なくなるはずです。

(3)自分の失敗を他人事として評価する

おそらく、多くの人は自分の失敗を認めたくない。認めたくないの意味は、失敗をネガティブに評価してしまうという意味です。ネガティブすぎて無視するのは、次の段階です。

しかし、あなたは、他人が失敗するのを目の当たりにした場合、ゲラゲラ笑い出すのは、ごく限られた状況でしかないのではないですか? 他人が本当に失敗したら、前向きなマインドチェンジを促したり、もっとこうしたらよい、とかアドバイスするのではないですか?

だったら、自分が失敗した時も、他人事のように評価すればよい。評価するの意味は、改善点を考えるの意味です。評価の目的は成長することです。

 

5 最後に

(1)努力の本質

失敗が必要な理由と失敗を糧にするためのヒントを語ってきました。少しはヒントになったでしょうか。

しかし、実際失敗したらへこみます。人間そういうものです。私も昨日へこみました。

失敗の意義は、失敗した後の状況になって始めて語れるものです。失敗の只中に「いま起きているトラブルは希望の塊だ」とは言わないですよね(言う人もいるかもしれませんが、ちょっと特殊なケースでしょう)。

失敗することの意義は、失敗してみてわかることです。ポエタは、それが努力の本質だと思います。つまり自分にはコントロールできないことは制御しようとしないことです。

「あれっ?」と思うかもしれません。いえ、それが努力の本質です。ちょっと時間をかけて説明します。

失敗の意義は、どこかでたまたま失敗して、そこから這い上がった後になってから、ようやく、思いつきがてら「たらしく」言えます。それは本人が望んでそうなるわけではありません。つまり、失敗が起きるか否かはコントロールできないんです。

失敗を糧にするのも、失敗が起きないようにコントロールできないから、糧にするしかないんです。だって、失敗は駆除しようがない。だったら、自分にコントロールできることだけ頑張ろうとするのが、真の努力です。

努力の意味は、できることを頑張ることです。努力を否定しがちな最近の努力不要論には、根本的な誤解があります。通俗的な努力論は、「なんでもできないこと(不可能なこと)をできるようにしろ」という意味で受け取られています。それだと若者は、「失敗するな」という意味にとってしまうんです。だって、失敗は避けることの不可能な事象です。通俗的な努力論は「だから失敗の回避をできるようにしろ」と言う意味を含み持ってしまう。

だったら、「失敗を避ける(≒努力しない)のが努力なんじゃねえ?」って思ってしまいますよね!

努力論に対する若者の誤解は、最初に述べたように、努力論に根ざした正論を吐いておきながら、その実、たいして指導力を発揮できない大人が、若者たちに植えつけた嫌いがある。ポエタはそう考えています。

何度も言いますが、真の努力は、自分に頑張れることだけ精一杯頑張ることです。それが真正の努力論です。

頑張れる対象は、ポエタ流に言えば、今自分が取り組んでいる課題のことです。課題は、自由が利かない人間にとって、今この瞬間に最大限獲得できる自由の源です。そういう課題を設定しなければならない。“論理的に”不可能な課題を設定してはいけません(ちなみに“好き嫌い”ではありません)。

ポエタの唱える課題批評は、真の努力論でありたい。そう思います。

(2)まとめ

・努力論の昔風のニュアンスはサビがついており、真の狙いが伝わりづらい。

・「失敗を糧にする」の真意は、制御できることだけ頑張る真の努力論だ。

・正論だけ吐いて若者をがっかりさせないよう、大人は健全な指導力を発揮しよう。

ポエタ

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