課題の教科書

Critical Realism for All Leader

夏目漱石は自己本位を基に「私の個人主義」で個性がひらく課題を語った

こんにちは。ポエタです。

今回は事例編です。

目次です。

1 はじめに

夏目漱石は作家ですが、作家としてのあり方や人間の生き方をするどく考察した人です。その講演「私の個人主義」では、漱石の思考遍歴が語られています。その文中には、「課題」という言葉は、ほとんど登場しません。

しかし、ポエタは、漱石の「私の個人主義」とその周辺情報から、漱石の課題を読みとりました。今回は、「私の個人主義」の内容に沿って、文豪・漱石の生き方が根ざした課題の事例を紹介します。

 

2 夏目漱石の自分探し

(1)天職に辿り着いたのは38歳

夏目漱石は明治、大正の日本を代表する作家です。漱石は、東大を出たエリートで、英国留学、東大講師を経たキャリアは、順風満帆に思えます。しかし、漱石本人は、自分が本当にやりたいことを見つけることができない、葛藤の日々であったようです。

漱石は38歳(1905年)に『我輩は猫である』を発表し、文壇デビューしました。それまでは東大で鬱々と英文学の講師をやっていました。漱石が小説家としての活動をスタートさせたのは、研究者生活を長く送った後であり、遅咲きと言えるでしょう。漱石は49歳で死去しますから、小説家に転身した時期は、晩年に差し掛かっていたと言えなくもありません。

(2)文学作品の執筆を課題に設定

漱石は、「私の個人主義」の中で、大学では英文学を学んだけれども、それほどやりがいのあるものではなかったと述べています。大学では文学者ワーズワースの生没年や、スコット(文学者)の作品を年代順に並べる問題が問われるけども、漱石には、一体英文学あるいは文学とは何なのか、という問題が、解った気がしませんでした。

文学者として自信のもてない漱石でしたが、そんな状態のまま、成り行きで教師になりました。松山や熊本で教師生活を送りますが、まるで教師という仕事が自分に向いているとは思っていませんでした。漱石はずっと職業とのミスマッチを抱えていました。

漱石はその後、33歳(1900年)で英国に留学し、英文学を研究しますが、いくら考えても、いくら読んでも、英文学とは何か、文学とは何かについて、得心いく結果は得られませんでした。

しかし、この時、漱石は、ようやく思いさとります。

「この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救う途はないのだと悟ったのです。」(夏目漱石『私の個人主義講談社学術文庫、1997年、P.133)

また、当時の漱石の手紙から、作品執筆に熱意を燃やす内面が読みとれます。

「近頃は著述をしようと思って大いに奮発して居る。己の著書だからどうせ売れる様なものではない。又出来るとも保証出来ん。先々ゆっくりかまえてやる」(妻鏡子宛書簡・1901[明治34]年3月付、別冊宝島夏目漱石という生き方』所収、宝島社、2016年、P.29)

漱石は、文学とは何かという根本問題から、作品執筆に焦点を当て直すことによって、自身の取り組み課題を見出したのです。漱石の妻に宛てた手紙からは、漱石が大いに意気をあげている様子がうかがえます。

(3)「自己本位」の立場に立脚

漱石は、自らが文学という概念の構築主体となることを決意し、「自己本位」という四字熟語を考えます。漱石は、紆余曲折はありましたが、「自己本位」の4字を握ってから、大変強くなったと言っています。

「その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴*1をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。」(夏目漱石『私の個人主義講談社学術文庫、1997年、P.136)

漱石は、自己本位という考えは、年を経るに連れて、だんだん強くなったと言います。

ポエタは考えます。ここでの注目点は、漱石が文学とは何かという問題に解答を得たわけではない点です。大事なのは、全霊を傾けて取り組むべき課題が明確になったことで、漱石の内面に変革が起きている点です。そして出てきた「自己本位」の考えは、その結果として生まれ出た「生き方」です。

漱石は文学とは何かという答えを知りたかった。しかし、結果得られた見識は「自己本位」という生き方です。つまり、漱石は文学論に悩みながら、自分は自分らしい生き方を探し求めていたのだ、と後から気づいたのです。その重要なきっかけは、問題を課題に置き直す主体的な発想転換にあります。

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3 「私の個人主義」の示唆

(1)問題を課題に置き換えた時に悩みが吹き飛ぶ

このように、漱石は自分が何に悩んでいるか、悩みの正体を掴めていなかったことになります。しかも、当初悩んでいた「文学とは何か」という問題の解答は得られていないのに、課題が明確になっただけで、悩みは氷解しました。

「自己本位」の生き方を手にした漱石は、それで強くなったと述べています。その後、漱石は東大教授職就任の打診を断って、朝日新聞社に入社しました。「国辱もの」と言われ、社会から非難を浴びます。しかし、漱石は大学で文学を研究し講ずるよりも、新聞社で文芸作品を著すことを仕事に選びました。漱石は自分の課題に忠実であることを選んだわけです。「自己本位」の信念は、漱石の生き方を強く支えました。

(2)やる気になった時に初めて得心を得る

漱石は、「自己本位」を手にした時、「文学とは何か」という問題の解答を得て納得したわけではありません。その代わり、夫人への手紙にある通り、自分が作品を著すことに大いにやる気を出しています。やる気が出たときに、悩みが消えるということが、よくわかります。

おそらく、誰か先生に、文学の定義を聞いても、漱石は納得できなかったでしょう。漱石は、自分がやるべきことが明確になって初めて、文学問題に対して自分がとるべきスタンスに得心がいったわけです。

しかも、その開眼は、漱石が、他人によって目を開かされたものでは、おそらくありませんでした。自分で問題を背負い、真剣に考え続け、その結果掴んだ課題ですから、何の迷いもなくなりました。

(3)将来ではなく今自由だと確信する

一種の想像ですが、漱石が行き着いた「自己本位」という考えが、漱石を強い人間にしたのは、「自己本位」が漱石という生きる主体に自由を与えたからだと思います。漱石が語った「不安は全く消え」「軽快な心」をもった心境というのは、まさに自由の境地ではないでしょうか。

課題は、今取り組むべきことです。目標は将来到達すべき地点です。目標と課題の違いは、自由がどこにあるかです。目標は自由を与えてくれますが、自由を得る時点は目標に達した時です。しかし、課題は今取り組むべきことですから、課題は今この瞬間に自由を生み出します。

課題が人間の苦しみを救うのは、今やるべきことが明確だからです。課題は私たちの今いる地点を自由で満たすのです。漱石が「近頃は著述をしようと思って大いに奮発して居る」と語気を強めながらであろう唱えた心境は、まさに自由が今手元にある人間のみが語り得る喜びでしょう。

(4)個人主義という名の課題

漱石は「自己本位」によって、個性を発展させるには、いくつかの留意点が、必然的に伴うということを、理知的に強調しています。

  • 自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない
  • 自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならない
  • 自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならない

夏目漱石『私の個人主義講談社学術文庫、1997年、P.147より参照)

また、漱石はイギリスを例にとり、自由を健全に尊重するには、一方で義務の観念がしっかりしていなければ、高度な社会は成り立たない点を指摘しています。漱石は、「わがままな自由は決して社会に存在し得ない」と言っています。漱石は、自由と義務を兼ね備えた人間のあり方を「個人主義」であると称しました。

ポエタは考えます。漱石の唱える個人主義は、単なるキャッチフレーズではありません。漱石は、個人主義を課題として位置付けています。

まさに他人と関わりながら生きる他ない人間は、生きるにおいて、自由と義務を両立させながら、判断し行動しなければなりません。個性の発展の鍵は、自由と義務との緊張関係の間で、自分の課題を自ら、逐一設定することです。

課題に取り組む人は、利害が錯綜する社会で、自己の自由を最大限高度化することができるでしょう。一人ひとりの個性は、自由と義務との、ほんのわずかの隙間に花ひらくものです。狭隘な土地に咲く花は、それでも美しい、とポエタは思います。

 

4 最後に

(1)個性の未来

漱石の経歴を辿っていくと、自己の課題を明確に設定した力強い人間の輪郭がはっきり浮かび上がります。しかし、ポエタは、文豪として名声を確立した成功者に対する羨望は必要ない、と思います。漱石が発奮したのは、必ずしも当時としては目新しいことを発見したからではありません。

我々も、何か新しいことを言わなければ、生きがいを見つけられないわけではないと思います。問題を課題に置き換えること。他人からの承認を当てにする前に、自分が本気を出すこと。自由と義務を兼ね備えた課題を逐一設定すること。こうしたことは、本来、誰にでもできるのだと思います。

ポエタは考えます。個性的でありたいと願うと、何かと目新しいことを渇望します。しかし、我々がこよなく愛する「新しいこと」は、かつてなかったことではない。「新しいこと」は来るべき未来だと思います。だから、誰にでも「新しいこと」は生み出せる。

漱石は、未来を予見して課題に取り組んだわけではありません。課題の発見と取り組みによって、結果として個性的な生き様を後世に残しました。課題は今を自由にしてくれます。その結果として、私たちは、思いもよらぬ「新しいこと」を手に入れるのではないでしょうか。

我々は、今に希望を見出していい。そう思います。

(2)まとめ

  • 漱石は英文学研究者として、二十代、三十代の大半を迷いながら生きてきた。
  • 漱石は、文学の本質は作品の創作によって明らかにする、と課題設定した。
  • 課題は常に設定する必要があり、常に人間を自由にする。
  • 漱石が個性の尊重に不可欠と考えた自由と義務の両立は、課題の必須要件である。
  • 課題への取り組みを通して、今に希望をもち、未来を手に入れよう。

<主要参考文献>

夏目漱石『私の個人主義講談社学術文庫、1997年

別冊宝島夏目漱石という生き方』、宝島社、2016年

ポエタ

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*1:(つるはし)

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