課題の教科書

Critical Realism for All Leader

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」明智光秀を描く脚本の見処と課題

こんにちは。ポエタです。

今回は実践編です。

目次です。

1 はじめに

2020年のNHK大河ドラマ明智光秀を主人公とした「麒麟がくる」です。光秀には謀反人のイメージが染み付いていて、大河ドラマの主人公に適しているのだろうか、と普通に思いました。

しかし、「麒麟がくる」の脚本上の課題を想定してみると、結構期待すべき点があるように思いました。特に明智光秀の生涯や人物としての特徴には解明されていない点が多くあります。この点を、大河ドラマでどのように描くのかは見処です。

今回は、光秀の人物としての特徴と、脚本上の想定課題、それを踏まえた大河ドラマの見処を述べます。

 

2 主人公「明智光秀」の特徴

(1)前半生が不明

本能寺の変で有名な光秀ですが、信長に仕えるまでの前半生はよくわかっていません。血縁、年齢、経歴等、基本的なことについて諸説あり、議論は確定していないようです。

  • 父親が誰なのか(血縁)
  • 出生年はいつか(年齢)
  • 誰に仕えていたのか(経歴)

①父親は誰なのか(血縁)

明智氏はもともと土岐氏でしたが、途中から明智姓を名乗るようになったようです。明智光秀の末裔と言われる明智憲三郎氏の研究(明智憲三郎『光秀からの遺言』河出書房新社、2018年)によると、同じ明智氏土岐氏)でも傍系の間柄である、頼典・光兼のどちらかが、光秀の父親である可能性が高いようです。

光秀が光兼の子であれば、連歌の素養に長け、幕府との関係が深く、京都と地縁が強い家系に生まれたことになります。一方、光秀が頼典の子であれば、主に美濃の地縁が強い家系に生まれたことになります。

光秀が誰の子であるかによって、光秀の育った背景が異なります。

②出生年はいつか(年齢)

出生年によって、本能寺の変で信長を討った時の年齢に違いが出ます。本能寺の変を起こした時に、五十五歳(一五◯四年生まれ)だったとする説と、六十七歳(一五一六年生まれ)だったとする説があります。

五十五歳であれば、まだ壮年であり、自ら天下の平定に名乗りをあげたと解釈できる余地があります。しかし、六十七歳だと高齢なので、天下を制するには求心力が乏しい気がします。年齢の異なる説は、本能寺の変を起こした光秀の動機の解釈に幅を生むでしょう。

③誰に仕えていたのか(経歴)

美濃の斎藤道三に仕えたという説もありますが、道三とは敵対関係だったという説もあります。誰に仕えていたかによって、どんな仕事の実績と経験を積んだかが異なります。

(2)「本能寺の変」の動機が不明

光秀が起こした「本能寺の変」は、信長に対する怨恨が動機である、と広く一般には知れ渡っています。しかし、必ずしも怨恨が原因ではない説もあります。怨恨説だと、光秀の行動を、感情に基づく向こう見ずな反応として解釈することもできます。しかし、光秀の行動には、政治的に合理的な判断が働いていたと解釈する研究者もいます。

(3)人物像が不確か

かつては、光秀を、風雅に通じ古式に則った作法に長けた文化人として解釈し、その気質が信長との相性の問題とあわせて理解されてきました。光秀には、名門一族の坊ちゃんとして、苦労もなくぬくぬくと育ったイメージが伴います。

しかし、光秀は、実際は若い頃から苦労が多く、流浪の身の上を送る牢人だったとする説があります。光秀は、長年の苦労を経て信長に仕え、めきめきと頭角を現し、信長の信頼が厚かったとされています。

 

3 「麒麟がくる」脚本上の課題想定

このように、明智光秀の生涯には不明点が多く、諸説あります。そのことが大河ドラマ麒麟がくる」の脚本を書く上で、どんな問題を生むでしょうか。

研究者の間で諸説ある論点を、一つに決め打ちすると、学問的な批判にさらされるリスクはあるでしょう。しかし、これまでの解釈をさらに掘り下げ、独自の人物像の創造につなげることで、単なる史実研究ではない、歴史「ドラマ」としての説得力が増すかもしれません。

大河ドラマには、十分な歴史的な考証が求められますが、テレビドラマとして成立する条件づくりも欠くことはできないのではないでしょうか。

テレビドラマとしての性格を考えると、やはり視聴率をとることが、一つの成果指標になるでしょう。視聴率が高ければ、視聴者の支持を得た証明になります。もし解釈に違和感を感じれば、ほとんどの人が観なくなるでしょうから。

視聴率をとる上での脚本上の課題をおおぐくりに想定しました。次の3つです。

(1)新味を出す

(2)学習効果を上げる

(3)毎週の定時イベントになる

それぞれの課題について、見て行きます。

(1)新味を出す

大河ドラマには、定番のストーリー構成があるようです。

発願(若年) → 苦労(活動期) → 報われる(晩年)

主人公は、若い頃の印象深い経験を通して、志を立てるわけですが、光秀は前半生が不明なので、どんな志を立てる脚本とするかはとても重要です。おそらく、研究者にも事実の特定ができないし、色々な解釈が可能でしょう。

先ほど、解釈を決め打ちすることにはリスクがあると言いました。しかし、少し乱暴な意見かもしれませんが、どうせ誰にも確たることは言えないのなら、脚本上は自由に設定してもよいのではないかと思います。もちろん、全く自由と言うわけにはいかないでしょう。しかし、晩年の本能寺の変にまで至る事の経緯を観た視聴者に納得感をもってもらうために、前半生の光秀にどんな経験をさせるかは、全体のストーリー展開を決定づけるポイントとして、脚本家の腕がなるところではないかと思います。

大河ドラマでは、人物に焦点が当たります。その人物には、若い頃から引きずっている苦い経験や甘い記憶があります。そのことが歴史の渦中で本人が下す決断に作用する。そういう展開に、大河ドラマの醍醐味があるでしょう。

このような機微に触れる人間像の描写は、単なる歴史考証の域にどどまらない、芸術表現だと思います。そういう意味では、これまで謀反人として枠にはまった解釈を押し付けられ続けた光秀には、新しい劇的解釈を生み出す余地は大いにあると思います。

光秀像に説得力のある新味を生み出すことが、課題としてあると思います。

(2)学習効果を上げる

大河ドラマには、現代に通じるテーマ設定がされると思います。特に現代日本の課題との共通性です。置かれた状況の中で主人公が葛藤しながら、判断し行動に踏み出す瞬間に、視聴者の思いが重なるように、最大限の演出効果を払っているように思います。

それは単にドラマとして感情移入に成功すればよいというものではないでしょう。視聴者が自分だったらどうするか。考えながら観て、しかしこの主人公はこう判断した、ということに驚かされ、考え直すきっかけを得る。大河ドラマには、人生の予行演習としての学習効果が期待されるのではないでしょうか。

特にまだ社会人経験が乏しい若者にとっては、学習効果の高い番組づくりが求められると思います。ステレオタイプなお決まりのパターンではない脚本が求められるでしょう。かといって、意外性だけを追求した薄っぺらなストーリーは求められていない。人物に焦点を当てた、リアリズムこそが脚本の基調となるべきではないでしょうか。

(3)毎週の定時イベントになる

地上波では、毎週日曜日夜8時は、大河ドラマの定番枠となっています。この時間は、ほぼ週末最後の夕食を終え、家族の団らんが始まる時間でしょう。大河ドラマは、いつも決まってこの時間に観る、という定時イベントとしての座を死守しなければならない。

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大河ドラマでは、家族間の情愛、夫婦の睦じい仲が強調されるのは、家族の定時イベントになる狙いも含まれているのではないかと思います。

ただ、日本では単身世帯が増えていると聞きます。かつてのように、家族4人が集まって一つのテレビで決まったドラマを観るというスタイルがお決まりではなくなりました。一人一台のテレビの家庭が多く、あるいはテレビを観ない若者も多い。

現代の生活スタイルの変化の中で、大河ドラマは、新たな生活イベントとしての付加価値をつける必要があるのではないでしょうか。

 

4 見処

(1)歴史研究者の反応

先ほども言ったように、どんな前半生を描くにしろ、反対説を唱える歴史研究者は存在することになります。特に大河ドラマには、史実に忠実であることへの期待が根強いです。諸説入り乱れる人物である光秀を主人公に据えた今回の大河ドラマは、波乱含みです。

しかし、史実が確定していないからこそ、脚本には創造的な描き方が期待できます。テレビドラマとしての面白みを追求する脚本家のスタンスと、史実を重んじるが故の歴史家の批判的スタンスとがぶつかり合い、今後どのような議論の盛り上がりを見せるのか、見処です。

(2)光秀の謀反実行のリアリズムは何か

光秀の生涯を語る上で、決して外すことのできない本能寺の変ですが、これまで様々に動機や目的が語られてきました。光秀が戦国武将として、どのような合理的算段で踏み切ったか、現実的な理由の解明が期待されます。それこそ、光秀の人物像や前半生を創造的に描く脚本の最終的な終着点であり、「麒麟がくる」の成否を大きく分ける論点になると思います。

(3)「麒麟」の意味

麒麟」は、仁王の登場の兆しとして現れるとされる想像上の聖獣です。なぜ、タイトルに「麒麟」が当てられたのかは不明です。しかし、タイトルになっている以上、脚本上のキーポイントであろうことは想像できます。そこを期待して観させるのでしょう。

いろいろと「麒麟」の脚本上の要素としての意味づけを想像することはできます。我々としては、よくありがちな「光秀が謀反を起こしたのには、天下泰平の理想を夢見た隠れた狙いがあったのだ」とか、心を洗い清めようとする結末を想像するわけです。

麒麟が来る」の脚本を手がけるのは、池端俊策氏です。大河ドラマ太平記」が代表作です。経験豊富な脚本家ですので、「麒麟」の要素をどのように脚本で際立たせるのかが見処です。

 

5 最後に

まとめです。

  • 明智光秀の前半生や本能寺の変の動機には謎が多い。
  • 謎多き人物だからこそ、脚本上の自由度は大きく、創意工夫が試される。
  • ドラマ放映開始後、史実検証に関する専門研究者の見解が待ち遠しい。
  • 本能寺の変に至る光秀の判断に、説得力のあるリアリズムを期待したい。
  • ちなみに、大河ドラマの定番化した一部の特徴を打破すべき時期ではないか。

<主要参考文献>

明智憲三郎『光秀からの遺言』河出書房新社、2018年

ポエタ

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