課題の教科書

Critical Realism for All Leader

課題解決にやっきになったら課題の深化こそクリエイティブだったこと

こんにちは。ポエタです。

今回は理論編です。

目次です。

1 はじめに 

課題。「課題」を概念的に語るのは、とても難しいと思います。「課題とは取り組む事」という説明はよく聞きます。ポエタは、初めてそれを聞いたときに「?」が頭を埋め尽くした記憶があります。

課題というのは、結局事例でしか語れないのではないか。あるいは自分が課題に取り組む事で、ようやくその重要性が理解できるものかもしれない。最近は、よくそう思います。

企業社会では、「課題」という言葉は、普通に会話に登場します。課題の重要性は当たり前だよね、と多くの人が考えています。

今回は、課題の重要性について語りたいと思います。 

 

2 課題なんて当たり前?

人事の関係の人に、「あなたの強みは?」と聞かれて、「課題形成力です」と答えたら、非常に残念そうな顔をされたことがあります。反応の理由は確かめませんでしたが、「課題は仕事の始まりであり、それがわかっていないなんてありえない事なんだから、課題形成力なんて、そもそも強みでも何でもない」おそらく、そのように受け止められたのではないか、と推測しています。

しかし、世の中を広く見渡すと、課題の不在が目につきます。あるいは、一応、それらしい課題を並べていても、至当なのかという点で、首をひねりたくなることがあります。

しかし、それらしい課題が、それなりに課題として市民権を得てしまうのは、なぜでしょうか。課題というのは、その主体者がこれだっ!と決めたら、ほとんど成立条件を満たすことになるからです。本当は、課題の十分条件は、課題の目的を達することですが、課題をこれだっ!て決めたら、あとはその人がちまなこになっても、やり遂げることなので、少なくとも、当事者にとって、疑問の余地はなくなる。その結果、課題が至当かどうかはともかく、業務は流れていくわけです。課題には、そういう錯覚みたいなものを起こす魔力が秘められています。

そして、あとはガリガリやることが仕事の中心になります。すると、課題解決力が尊ばれるわけです。しかし、課題が至当でなければ、解決できるわけありません。ここに、課題形成あるいは課題設定の重要性が浮かび上がってくるわけです。ポエタの感触で言うと、世に優れた「解決策」と言われている成功事例は、本質的には課題設定の的確性に勝因があったのだと、よく思います。

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そこで、課題と解決策の概念的な仕分けが、色々と問題になります。課題と解決策と言うと、明確に概念整理されていると思うかもしれません。しかし、案外、その境界は曖昧ですし、課題のことを解決策と言ったり、解決策のことを課題と言ったりすることがあります。もっと複雑なことを言うと、昨日まで課題という扱いだったものが、認識が深まってくると、明日は解決策に格落ちすることだってあり得ます。

 

3 狙いの重要性ってなんだ? 

そういう混乱は、結構あるわけです。そして、会話の中で、課題と解決策が混線を起こして、何を議論しているのか、わからないまま、議論が紛糾してしまいます。こうなってくると、課題の目線合わせというものが必要になります。組織内の目線合わせです。課題と解決策は、浮動的な概念として動き回ってしまう厄介な代物ですが、そこで「狙い」という便利なピン留めが重要になってきます。

課題の狙いは何か。「この課題の狙いはここにあるから、あとは解決策なんていくらでもあるよね」という展開になれば、関係者の目線が合ってきます。この課題の狙い、というのが、結構こだわりの出るポイントだと思います。「この課題の狙いは何だ?」と聞かれて、平然と「こうです」と言って、できあいの狙いを答えてしまうことがあるんですが、そこが惜しい。課題の「狙い」は、クリティカルな言葉で結晶しなければならない核心部分です。狙いは、戦略的思考が熱を帯びて走り回るための導線がぐるぐる巻かれているべき駆動装置です。

よく「狙いが重要」と言います。どういう意味でしょうか。重要であるからには、重要な意味がいっぱいあるわけです。ポエタは考えます。一つだけ言います。課題そのものは凡庸かもしれない。しかし、狙いは極めてクリエイティブで生産的です。画期的な課題なんてありません。あるのは独自の狙い定め方です。たとえば、ビジネスモデルの整備の必要性は当たり前のことかもしれないけど、なぜそれが重要かを生産的に語れるかどうかです。

 

4 だから至当な課題なんです 

至当な課題とは、戦略的な狙いを語れることです。ちょっと手のこんだ言い方をすると、課題を聞かれて、思い出さずに言えることです。つまり課題は、頭の中の知識を引っ張り出してくるものではありません。頭の中で渦を巻いている発想から、都度ポンと出てくるものです。先ほど、課題が浮動的な概念だと言いましたが、課題はクリエイティブな狙いをもつ以上、ずっと変化し続けるものです。だから、昨日まで課題だったものが、明日は解決策のレベルに落ちることがある。そして、意外な要素が真の課題として浮かび上がってきて、検討の局面はぐるぐる回転するわけです。

そういう意味でいうと、課題は、そんなに当たり前すぎるものではない。課題は仕事の始まりだ、と世の中では認識されることが多いですが、ポエタは、なかなか仕事を始められなかった経験が結構あります。

 

5 課題で十分ではない 

それで、じゃあ課題が重要なら、解決策はそんなに重要ではないのか、というとそうではない。それが至当な課題なら、解決して当たり前です。だから、至当な課題を形成していったら、頭をひねるまでもなく、解決策の候補ぐらいペラペラ言えて当たり前なんだと思います。要は、課題と解決策はセットです。

さきほど、課題の十分条件は目的を達することだと言いました。目的を達するには、解決策が揃っていなければいけません。解決策は、なんだかんだで非常に重要です。でも、解決策に頭をひねっているなら、それは困ったことになっている証拠です。至当な課題なら、解決策はすぐ出てきて当然ですから。だから、頭を使うべきなのは、課題の部分です。ここで知力を傾けるのが、本当に肝心です。ただ、解決策にも思い巡らさないと、至当な課題はなかなか出てきてくれません。

さきほど、課題だと思ったものが、解決策に落ちて、真の要素が課題として浮かび上がることがある、と言いました。つまり、それは結果からみると、最初に解決策に頭を使ったからこそ、真の課題が見つかったわけです。きわどい矛盾をほのめかして言いますが、課題至上主義に陥って、解決策を馬鹿にすると、至れない課題があります。なのでポエタは、課題至上主義を唱えるつもりはありません。

 6 最後に 

課題というのは、仕事の本質です。つまり、課題を題材にすると、仕事についての思いのたけを意外と語れます。課題は概念的には語りにくい、と最初に言いました。ですが、仕事の本質だからこそ、課題はいろんな角度から語れます。課題ってこういう意味で重要なんだ、と様々に語れます。そこで語ることができるのは、課題の重要性であると同時に、他のテーマでは語れなかったことです。そういう意味では、課題はとてもいい題材だと思います。

課題にこれっという答えはありません。だから、自由に語れるのだと思います。理論編では、自由に語りたいと思います。

  • 課題の設定と解決はセット
  • 課題は狙いが命
  • 課題解決の成功の鍵は課題設定にあり
  • 課題は思い出して言わず今思いつく
  • 課題は仕事の本質だからいろいろ語れる 

ポエタ

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