課題の教科書

Critical Realism for All Leader

「アラビアのロレンス」の6つの謎をさらに深掘りして語ります

こんにちは。ポエタです。

今回はコラムです。

目次です。

1 はじめに

前回の記事で、アカバ攻略までのT.E.ロレンスの主な活動と思考ロジックを批評しました。

当初、ロレンスが与えられた課題は、オスマン帝国に対するアラブの反乱を支援することでした。

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前回の記事を簡単にまとめると、以下の3点です。

  • 英仏間で結んだ秘密協定であるサイクス・ピコ協定は、イギリスがアラブ民族と結んだフサイン・マクマホン協定に対する背信的内容を秘めていた。
  • ロレンスは、アラブ民族が自らの自由は自ら獲得する原理原則に立脚し行動することに職責をかけ、連合国軍の一翼としてオスマン帝国に対する主要な戦果をあげることを課題に置き直した。
  • 現場にいるロレンスは、英国の国益とアラブ民族の理想との間で板挟みにあったが、自己の真の課題を設定し直したことで、方向性を見出した。

この記事を書くための調査を始めるにあたって、ポエタはいくつかの謎を設定しました。

  1. ロレンスは、アカバを攻略する必要性はあったのか。
  2. サイクス・ピコ協定は、なぜ暴露されたのか。
  3. 秘密協定に対するアラブ民族の反発に、ロレンスはどう対応したのか。
  4. ロレンスは、なぜダマスカスまで進軍したのか。
  5. ロレンスは、サイクス・ピコ協定を知っていたのか。
  6. サイクス・ピコ協定は、なぜ背信的だったのか。

最初に、ポエタは、ロレンスの功績は、アラブの反乱支援という課題の解決策として、ゲリラ戦術を適用した点にある、という筋で書こうと考えていました。

しかし、よく考えると、問題は単純ではない。ゲリラ戦をやっていればよいのなら、ダマスカスにまで進軍する必要性はなかったのではないか。さらに言えば、アカバを占領しなくても、ウェジュフさえ拠点にできれば、十分だったのではないか。そう思いました。

それが、1と4の謎につながりました。

また、ロレンスの軌跡を辿る上では、全体像をおさえなくてはならない。そこで、第一次大戦の経緯を調べていくと、サイクス・ピコ協定は、アラブ民族に対して背信的な協定だったと言われている。しかも秘密協定であり、始末の悪いことに、途中で暴露されてしまっている。このことがロレンスに与えた影響は、大きかったに違いない。この問題意識が2と3の謎となりました。

そして、ロレンスはアラブ軍の事実上の参謀機能を果たしており、フェイサルの側近でした。そういう立場の連絡将校が、サイクス・ピコ協定を知らなかったといわれても、にわかには信じがたいものがありました。これが、謎の5につながりました。

また、サイクス・ピコ協定は、一般常識として、英国の二枚舌外交の典型のように言われているが、条文内容を事実として確認しなければならない。これが6の謎です。

これらの謎に答えを出すために、調査した結果を、整理したものが前回の記事でした。

今回の記事では、6つの謎に対する答えを改めて整理し、前回の記事では書ききれなかったポエタの思考ロジックを補足します。 

 

2 謎解きの考察

(1)ロレンスには、アカバを攻略する必要性はあったのか 

アカバ攻略の軍事的意義は、主に3つでした。

  • アカバ攻略後は、鉄道の大半部分が、アラブ軍による側面攻撃の脅威にさらされる。
  • アカバは地理的に、エジプトの英軍との情報連携を緊密にできる。
  • アカバは、英軍から食糧や武器などの軍事物資の供給を受けるのに有利な立地である。

これは『知恵の七柱』48章(T.E.ロレンス『知恵の七柱2』柏倉俊三訳、東洋文庫平凡社、1990年、P.81-82)で、ロレンス自ら述べています。

ロレンスが指導原則としたゲリラ戦術にとって重要な点は、1つ目です。アカバ攻略の必要性は確かにある。しかし、ポエタが疑っている理由は、ロレンスが、もう一つの政治的意義をくっつけている点です。

パレスティナおよびシリアの征服に連合軍の右翼として行動することを、またアラビア語を話す人たちの希望すなわち自由な砂漠と自己の政府を確保することを願った。私の見解では、この反乱が主要な対トルコ戦に参加できないとあれば失敗であると告白せざるを得まいし、その付属のだしものの地位を脱し得まい。」(T.E.ロレンス『知恵の七柱2』柏倉俊三訳、東洋文庫平凡社、1990年、P.82)

このように、ロレンスは、『知恵の七柱』で、最初に軍事的意義を述べ、続けて政治的意義をつけ加えています。その次に、アラブ人の間でサイクス・ピコ協定の噂が広がった事実を述べています。

『知恵の七柱』は基本的に時間的順序に沿って書かれています。だとすると、ロレンスはサイクス・ピコ協定の噂が流れる前に、アカバ攻略の政治的意義を認識していたことになります。

アカバ攻略にこめられた政治的意義は、サイクス・ピコ協定によってフサイン・マクマホン協定に加えられたアラブ国家への制限を、最大限取り除く狙いを秘めていました。

ロレンスは、サイクス・ピコ協定フサイン・マクマホン協定も知らなかったとされています。しかし、知らないわりには、ロレンスが着想したアカバ攻略の政治的意義は、アラブ軍が秘密協定の制約を最大限乗り越える上で、あまりにも的確です。

ポエタは考えます。ロレンスのアカバ攻略の主目的は、政治的意義にこそあったのではないか。軍事的意義は、ゲリラ戦術を展開する上での有利性を増やすだけの副次的意義であったのではないか。

しかし、アラブ軍は、しばしば物資欠乏の状態にあり、エジプトの英国軍と連絡をとって、物的支援を受ける必要はありました。アカバをとれば、鉄路に対する奇襲攻撃がやりやすくなるのも確かです。ですから、アカバ攻略が軍事的に不要だったわけではない。

ですから、謎に対する答えは、イエスアカバ攻略は必要でした。

ただ、ポエタは、アカバ攻略の主目的が軍事的意義と政治的意義のどちらにあったのか、引き続き問いをもちました。 

(2)サイクス・ピコ協定は、なぜ暴露されたのか。 

サイクス・ピコ協定は、戦争中にロシアによって暴露されました。秘密協定ですから、それは英仏両国にとって一大事です。それに、アラビア半島の現場でアラブ人と共同戦線を張っているロレンスにとっても、死活的な問題だったはずです。

ですので、ポエタは、なぜ、このタイミングでロシアが暴露したのかに注目しました。理由は、前回の記事に述べた通りですが、ロシア革命でした。新しく成立した革命政府が、旧政権の加担した悪事を暴くという名目で、旧政権の知りえた情報を暴露したのでした。この動きにオスマン帝国がのっかって、アラブ軍を牽制する情報を流したわけです。

ただ、秘密協定の噂が、ロレンスにとって、不利なだけだったのでしょうか。確かに、アラブ人は、自分たちが国家樹立を目指す地域について、英仏がこっそり権益の画定を議論していたのは、信頼を裏切られる行為でした。怒りたくもなるでしょう。しかし、ロレンスにとっては、アラブ軍が自ら自分たちの未来の領土を獲得し、英仏に対する交渉力を身につけることに全力傾注すべきだ、という前向きな発想が、真剣味を帯びる契機になったのではないか。

そう考えてみると、歴史は誰に味方するのか、よくわかりません。 

(3)秘密協定に対するアラブ民族の反発に、ロレンスはどう対応したのか。 

ロレンスは、アラブ人に詰め寄られて、色々言い訳を並べたそうです。矛盾する協定があった場合は、日付の新しい方が有効だ、とか。半分思いつきみたいなことを言っていたようです。当時、フサイン・マクマホン協定サイクス・ピコ協定の両方の日付まで知れ渡っていたかは不明です。いずれにしろ、ロレンスは、いろいろ言って、信用をつなぎとめようとしたみたいです。

そして、あろうことか、アカバ攻略の政治的意義が、いよいよ増してくる、という論理的構造が出来上がるわけです。ロレンスの着想した政治的意義は、正鵠を射ていたわけです。それを不幸中の幸いというべきか、慧眼というべきか、正直言ってポエタは、迷いました。 

(4)ロレンスは、なぜダマスカスまで進軍したのか。 

最初は、アラブ軍は、アラビア半島内で、オスマン帝国軍に押され気味でした。アラブ軍が、ダマスカスまで進軍したのは、快挙といっていいでしょう。そんな壮挙をいつから企てたのか、興味が沸きました。

実は、まだ調べきれていません。ただ、結果から明らかなのは、アラブ軍はダマスカスに入城することで、フランス権益のA帯まで入り込んだことです。これは、フランスにとっては簡単には看過しがたい事態でしょう。しかし、アラブ軍にとっては、フランスに対して、ダマスカスを奪った既成事実をもって、有力な交渉材料を手に入れたことになります。ダマスカスへの進軍は、フランスに対する最大限の交渉力を得るために、政治的意義が大きかったのだと思います。

(5)ロレンスは、サイクス・ピコ協定を知っていたのか。

これは、極めて重要な謎だと思いました。知らなかったのなら、ロレンスは異常な慧眼の持ち主だったことになります。なぜなら、秘密協定を知らずに、アラブ軍にとって有利になる情勢を見極め、自ら領土を獲得する壮挙を実現させたことになります。知っていたら、どうでしょうか。

実は、ロレンスがアカバ攻略を企画した段階で、多くのアラブ人は、前向きではありませんでした。なので、ロレンスのアカバ攻略には、実にわずかな手勢しか従いませんでした。つまり、アラブ軍全体の雰囲気としては、ダマスカスどころか、アカバまで攻め入るという気は、途中までは、あんまりなかったようです。

ですから、ロレンスはアラブ人の意識に火をつける手段を探し求めていたと思われます。ロレンスが、秘密協定を知っていたとしたら、アラブ軍のアカバ攻略に対する消極性に、やるかたない思いを抱いていたでしょう。秘密協定の存在を言いたくてしようがなかったのではないか。

そこへ、秘密協定の噂の広がりが、時あたかもアカバ攻略の途上に起きるわけです。なんとも言えない展開でした。この秘密協定の噂は、必ずしもロレンスにとって、痛恨事ではなかったのではないか。ポエタには、そう思えてならない。実は噂の発信源は、ロシアの情報を入手したオスマン帝国ではなく、ロレンスではないか、と推定するのは、さすがに勘ぐりすぎでしょうか。サイクス・ピコ協定には、なぜかロシアが関わっていて、ロシア側の動きで情報が漏れたことになっているから不思議です。

ポエタは、ロレンスが秘密協定を知っていたのか、知らなかったのか、この問題には、結論は出していません。どちらであったにせよ、ロレンスは、興味深い人物であったことは、うかがい知れます。 

(6)サイクス・ピコ協定は、なぜ背信的だったのか。 

前回の記事に、フサイン・マクマホン協定サイクス・ピコ協定の趣旨文を載せています。これが、二枚舌外交の代表例として名高いわけですが、どういう点が背信的なのでしょうか。

英国は、フサインに、アラブ人の独立を承認した上で、フランスの権益を害さない限り、という条件をつけていました。しかし、裏でフランスと両国の権益の分配を決めていた。それをフサインに伝えなかったのは、信義則に反する。そういう理屈で背信的でした。

ところがこう考えるとどうでしょうか。「確かに協定を秘密にしていたのは、信義則に反するでしょう。しかし、英国は、フサインとの協定で、フランス次第だという条件を明示はしています。親切ではなかったが、嘘はついていないのではないか。」そういう疑問が頭をよぎるかもしれません。

しかし、フサインは、フランス次第だという条項は当然知っていたでしょうから、その後も、フランスとの交渉はどうなっているか、イギリスには尋ねていたでしょう。それで、イギリスが、のらくら言ってごまかしていたら、やはり問題ではないか。おそらく、そういう所に、アラブ側の不信があったのだろうと推測します。

実際に、サイクス・ピコ協定の噂が広がった際には、英仏両国の担当官がフサインの所へ行って、お茶を濁すことを言ったようです。

だいぶ後のことになりますが、イギリスは、とってつけたように、アラブ側に対して約束をします。

「戦争中アラブ人の武力によって解放された地域は、すべて完全な独立国として」彼等に与えることを約している(中野好夫アラビアのロレンス岩波新書、2013年、P.129-130)。

これは、1918年6月11日に、カイロのアラブ七人委員会という所に対し、イギリスが与えることになる保証でした。この日付は、アラブ軍のダマスカス入城(1918年10月1日)より前です。

この保証は、ロレンスのにらんだであろう原則論である「自分の領土は自分で勝ち取る」を裏書きするものです。英国は、この保証で、秘密協定の背信問題を、とりあえず回避できると踏んだ可能性があります。ロレンスは、フェイサルに、最初の会見の時から、その原則論を強調していました。自由は与えられるのではなく、自分で取るべきもの、という原則論です。少なくともフェイサルは、当初からこの原則論を知っていたわけですから、これとの整合性はとれるわけです。

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ただし、イギリスは、アラブ軍が、青色帯には攻め込まないという見込みがなくては、この保証はできません。フェイサルの信用を得ていたロレンスが一枚かまなければ、イギリスは、こんな保証はできなかったでしょう。

アカバ陥落は、1917年7月6日ですから、ロレンスが、英国政府と示し合せる時間的猶予はあったと思われます。秘密協定の噂が広がった直後、1917年6月4日から18日まで、ロレンスの動静が不明瞭な理由は、大いに注目すべき点です。詳細は不明ですが、どうも、この辺にも、ロレンスが単なるゲリラ戦参謀ではなかったという側面が、うっすらと浮かび上がってきます。考えてみれば、ロレンスの肩書きは、フェイサル付政治顧問兼軍連絡将校です。ロレンスは、フェイサルに、政治問題に関して意見し、英国軍とは情報連絡できたわけですね。

3 まとめ

6つの謎に関する、現時点の答えです。

(1)ロレンスは、アカバを攻略する必要性はあったのか。

   必要性はあった。主目的は不明。

(2)サイクス・ピコ協定は、なぜ暴露されたのか。

   ロシア革命後の革命政府が発見し、オスマン帝国が情報を流したから

(3)秘密協定に対するアラブ民族の反発に、ロレンスはどう対応したのか。

   とりあえずいろいろ言って、やり過ごした

(4)ロレンスは、なぜダマスカスまで進軍したのか。

   企図は不明。結果から言えば、アラブ側の権益の上限に達するからではないか。

(5)ロレンスは、サイクス・ピコ協定を知っていたのか。

   どちらとも言えない。

(6)サイクス・ピコ協定は、なぜ背信的だったのか。

   アラブ側に重要情報を秘匿した英国の対応があったため。

煮え切れない結論だと、お思いでしょう。確かにそれは認めます。ロレンスは、手がかりを残してくれなかった。「ロレンスによる策謀説」を証明する証拠も、反証するための証拠すらも。 

今回は、ここまでです。

ポエタ

<主要参考文献>

中野好夫アラビアのロレンス岩波新書岩波書店、2013年

T.E.ロレンス『知恵の七柱1』柏倉俊三訳、東洋文庫平凡社、1989年

T.E.ロレンス『知恵の七柱2』柏倉俊三訳、東洋文庫平凡社、1990年

 

余談を述べます。あくまで全部、推定ですが。

私は、ロレンスはサイクス・ピコ協定を知っていたと思っています。しかも、アラビア入りした当初から知っていたと思います。なぜなら、ロレンスは任務を引き受ける上で、当然のこととして、戦略目標を確かめたであろうからです。戦略目標の重要性は、前回の記事で述べた通りです。

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そして、ロレンスが確かめた相手が、まともな高官であれば、その場合、サイクス・ピコ協定の趣旨に触れないわけにはいかない。実は、ロレンスは、この任務に就いてアラビア訪問をする前に、陸軍情報部を出て、外務省アラビア局に転属しています。おそらく、サイクス・ピコ協定の責任当局は、これがはっきりしないのですが、おそらくイギリス外務省だったでしょう。少なくとも、フサイン・マクマホン協定の責任当局はイギリス外務省です。今度、ロレンスに会ったらきいてみたいです。「君、外務省所属だったら、あの協定のこと、知ってたんじゃないの?」

正直に言って、ロレンスは、軍人なのか外務省職員なのか、よくわかりません。肩書きは、フェイサル付政治顧問兼軍連絡将校ですが、本当によくわからないのです。外務省の肩書きだったら、フサインに目をつけられたでしょうね。できれば、調べを続けます。

ロレンスが、最初に反乱の指導者としてふさわしい人物を探したのも、サイクス・ピコ協定の本当の意味を託すべき人物を見出したかったからだと思います。もっと的確に言うと、ロレンスは、戦争指導と政治交渉の原理原則を踏まえた意思決定ができる人物こそ、英国が支援すべき対象であると考えていたのだと思います。怒りもせず、猜疑心にもかられない人物です。利口すぎてもいけないし、冷静すべきてもいけない。ありのままの原理原則を踏まえて思考し、意思決定できる指導的人物。そして見込んだのがフェイサルだった。それを見定め、こみいった話を持ちかけること自体が、相当なリスクだったに違いありません。それをロレンスがやったとしたら、相当な人間洞察力とコミュニケーション能力の持ち主です。

つまり、ロレンスは、最初から、戦後処理を見据えた地ならしに取り組んでいたと思います。フェイサルに決め込んでからイギリス側に戻って報告し、イギリスとして支援すると決まった後に、ロレンスは改めて、イギリスから、アラブの反乱の支援任務を命じられました。実は、ロレンスは、それを断ったと述べています。しかし、最後は命令に従いました。というのも、このような微妙な問題を抱えた船出は、その地ならしをした人間にしか、舵はとれないからだと思います。おそらく、ロレンスは、フェイサルとの最初の会見で、イギリスとして貴重というべき信頼関係を結んだのだと思います。

しかし、フェイサルの率いたアラブ人たちは、そのことは知らない。いろんな部族の集まりですから、そこまで詳しくは情報を共有できない。ロレンスは、上層部とだけ結んだ上で、支援任務に就いたのでしょう。

そして、アカバ攻略直前に、アラブ人の間に、サイクス・ピコ協定の噂を流したのも、ロレンスだと思います。これは、ロレンスが、この段階で、アラブ人全体のダマスカスを目指す気運づくりを図ったのだと思います。これは身に危険が及びかねないことであり、ロレンスにとって非常にリスキーです。フランスも怒ります。イギリスが事前に聞いていたかはわかりません。ですから、そんなことはするはずがない、という人は多いかもしれません。ですが、私は、タイミングがあまりに絶妙だったと思います。ロレンスの本願にとっては、天佑ともいうべきタイミングに出た噂話です。決して皮肉ではありません。

ロレンスの本願とは何だったか。それは、単にアラブ民族を利用してイギリスの国益を優先するとか、あるいは逆にアラブの悲願に感情的に肩入れするとか、そういうことではない。もし、アラブ軍が、アラビア半島で、ヒジャーズ鉄道の爆破だけやって、ダマスカスにもアカバにも攻め込まずに、戦争が終結したら、どうなるか。英仏は、青色帯、A帯、赤色帯、B帯は、全部自分たちのものにして、アラブ民族をアラビア半島に押し込んだでしょう。おそらく、それではアラブ民族は納得しない。もっと北の領域も望んだのだ、自分たちも戦ったのだ、そう主張して、悲願成就のため反乱を起こしたかもしれない。これでは、中東が治らないのです。誰も統治責任を果たせないでしょう。

だから、ロレンスは、アラブ民族がオスマン帝国に対して反旗をひるがえすことを、イギリスが政治的に利用し、これを軍事的に支援する以上、アラブ軍が目一杯、できればA帯まで攻め込むよう、導かねばならない。それが達成されば、戦後交渉において、アラブ民族が、英仏に、相応の国土を認めさせるための既成事実が整う。これが、ロレンスの本願だったのだと、そう私は考えています。

推定に推定を重ねます。ロレンスは『知恵の七柱』で、背信的な秘密協定に関して、自責の念にかられています。しかし、秘密協定を、ロレンスが知らなかったのなら、ロレンス一個人が気に病むことではない。目の前のアラブ人に対して申し訳ない、と思う気持ちはよくわかります。しかし、ロレンスが贖罪の気持ちだけで任務にあたったとは私には思えない。でなければ、これほど過酷な任務を長期にわたって完遂できるでしょうか。ロレンスは秘密協定を知っていたと思います。

なおかつ、ロレンスが真に戦った相手は、オスマン帝国ではない。では、ロレンスが本当に挑んだのは、秘密協定を結んだ英仏交渉官か。それはわかりません。正直に言って、交渉過程は、そこまで調べていません。ただ、私は歴史の胎動に浮かんでは消えそうな一人の男が、最初から最後まで、意を決して戦い抜いた事実に、身の震える思いがします。歴史と戦った。この言葉がただのお世辞とは思いません。

ロレンスは、手元に本当の大義名分を握っていた。上層部とも握っていた。後は戦争に勝つのみである。それ以外の選択肢はなかった。私はロレンスの身命を賭したリアリズムに言葉もありません。以上です。

 

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