課題の教科書

Critical Realism for All Leader

ソロンの改革が取組んだ課題の重要論点、農民「ヘクテモロイ」を詳説

こんにちは。ポエタです。

今回は、コラム記事です。 

目次です。 

1 今回のコラムの趣旨とねらい

(1)趣旨

ソロンの改革を知っていますか。学校の世界史の教科書にちょろっと出てきますが、その後は、あまり耳にすることは、ないと思います。 

ソロンという人について、簡単に説明しますね。 

ソロンは、紀元前639年頃から紀元前559年頃に、古代ギリシアを生きた政治家です。この人は、もともと名門の出でしたが、父親が他人への援助で財産を使ってしまったので、豊かな身の上ではありませんでした。ソロンは、若い頃に航海で外国を巡りながら貿易で稼ぎ、身を立てます。

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その後、ソロンは、アテネで政治家として、政治体制の改革に取り組みます。ソロンが取り組んだ課題は、アテネの内部抗争を治めることでした。その改革は、結局、成功しなかったと言われています。しかし、一定の成果はあげたとして後世、評価されています。

ソロンが直面した内部抗争は、貴族階級と平民階級との間の階級闘争でした。この争いを治めるために、ソロンは、まず平民階級の救済策を打ち出しました。

平民階級には「ヘクテモロイ」と呼ばれる人々がいました。しかし、ヘクテモロイが、実際どういう身分の階級だったかは、よくわかっていません。

それによって、ソロンがどういう救済策を実行したか、という解釈も異なってきます。ソロンが、本当に改革をどのように実行したかについては、今も研究者の間で論争があります。 

(2)今回の記事のねらい 

ポエタは、ソロンが課題として取り組んだ、内部抗争の平定を、課題解決事例として、今後「事例編」で詳しく論じる予定です。しかし、ソロンの時代は、史料が乏しく、全貌が詳しく解明されていません。

ソロンの改革の課題を批評するには、まず、事実関係がどうであったかを把握した上で、考察する必要があります。 

事実関係は、研究者の間でも、確定していないので、そんなことって、できるわけないのでは? あなたは、そう思うかもしれませんね。

しかし、ソロンが取り組んだ課題について批評するためには、事実関係を確定させる必要があります。

ただ、ポエタは、事実を歴史的に考証し、研究者が論じてきた論点について、誰もが認めるような最終的な回答を出す必要はないと考えています。なぜでしょうか?

ポエタは考えます。具体的な課題について批評するためには、前提となる事実関係の確定が必要です。しかし、その確定は、仮定であってもよい。

事実関係を完璧に証明しなければ、ソロンの改革にまつわる課題について批評できないのなら、永遠に批評することはできないでしょう。

あくまで、前提条件は仮定として置き、課題を批評することができればよい。

なぜなら、その批評を、カギかっこ付きの「課題解決の事例」として、あなたの頭の中にストックしてもらえるからです。そのことが、あなた自身が取り組む課題について考える上で、開け閉めできる引き出しの一つになれば、価値がある。 

しかし、事実関係は、仮定として置くとしても、なぜそういう仮定を置こうと考えるのか? については、説明しなければなりませんよね。

今回の記事で、「ヘクテモロイ」について取り上げるのは、ソロンが取り組んだ課題を考える上で、それが、重要な事実関係だからです。

だから、「ヘクテモロイ」に関する事実関係について、どういう仮定を置くのか、ポエタの考え方をはっきりさせておきたい。それが、今回の記事のねらいです。

 

2 ヘクテモロイとは何か 

(1)意味を解明する重要性 

ソロンの改革は、時期によって、やったことが違います。最初期に行ったのが、「重荷下ろし(セイサクテイア)」と「標石の除去」の2つです。

一般的には、「重荷下ろし」を、実質的な借金の免除と解釈する人もいますが、アテネ周辺のアッティカ地方で貨幣が製造されるようになったのは、ソロンの時代よりも50年は後だろう、と言われています。ですので、借「金」という概念は、ほとんどなかったと思われます。実際に借りたのは、借「財」のほうではないか、と言われています。

「標石の除去」も、標石が何のために設けられたものなのかは、いろいろな解釈があります。

ソロンが実行した「重荷下ろし」と「標石の除去」の2つの実質的な内容ですが、ソロンが救済しようとした「ヘクテモロイ」の意味を、どう解釈するかによって、「重荷下ろし」と「標石の除去」についての歴史的な解釈が変わってきます。

そのことを見ていきましょう。

 

(2)ヘクテモロイについての2つの説 

ヘクテモロイについての正確な理解は、歴史がたちすぎて、失われています。これまで、歴史家たちは、ヘクテモロイの意味を解明しようとしましたが、大きく分けて2つの説がありました。 

①没落した小土地所有者であった農民を意味する

アッティカに植民された農民を意味する 

一般的に、ヘクテモロイには「六分の一」の地代が課されていたと言われます。この六分の一の地代が、どういう性格であったかの見解の相違が、ヘクテモロイについての解釈の違いとして表れます。

ヘクテモロイの2つの説について、詳しく説明します。 

①没落土地所有農民説

当時のアテネでは、借財は一般的におこなわれていました。一方で、持っている土地を他人に譲渡することは規制で禁止されていました。しかし、ここで問題が生じます。借財を返せなくなった場合に、土地を売って借財の返済にあてることができません。

そこで、規制を回避するために、次のような特別な方法をとって、借財の返済をおこなうことが増えてきました。

  • 借りた人が所有する土地の収穫物から六分の一の地代を債権者に支払う。
  • 抵当は借りた人の身体とし、滞納した場合は奴隷になるか「ヘクテモロイ(隷属農民)」になる。
  • その土地には「標石」を設置して、抵当の証とする。  

なお、この方法では、借りた人の土地所有権は制限されました。

この方法を活用して、借財の返済を行おうとしたものの、滞納してしまい「ヘクテモロイ(隷属農民)」に身を落としてしまった人が、多くいたと考えられます。 

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アッティカ農民説

アテネの周辺には、アッティカ地方が広がっています。当時、アッティカ地方への植民が行われていました。貴族が植民を募集し、植民となった農民に保護を与えていました。植民となった農民は、保護の見返りに、六分の一の地代を保護料として支払いました。その地代を義務付けた証として、標石が用いられたと考えられます。 

・貴族が農民を募集し、アッティカへの植民を奨励した。

・植民は保護料として貴族に、土地の収穫から六分の一の地代を納めた。

・地代納付義務の証として貴族所有の土地に設けたのが、標石だった。 

こうして植民された農民が、「ヘクテモロイ」の始まりだと考えられます。

その後、紀元前7世紀頃に、アテネは交易を拡大するのにつれて、貴族が植民の農民を搾取し始め、階級間の緊張が高まったと考えられます。 

上記①と②の説を見比べると、ヘクテモロイに課されたと言われる「六分の一」の地代が、借財の返済としての地代を表すのか、保護料としての地代を表すのかが、2つの説の大きな違いを表しています

なお、①の説では、標石を「抵当標石」と考えますが、抵当標石は、紀元前4世紀半ば以降のものであるため、ソロンの改革当時に抵当標石はなかったとされています。

 

(3)「重荷下ろし」と「標石除去」の意味

①の説と②の説とでは、ソロンが行った「重荷下ろし」と「標石の除去」の意味が、どう異なるかを、一覧で比較しました。

 

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①の説では、ヘクテモロイは、借財返済の代わりとして、地代を支払っていましたから、重荷下ろしは、借財の返済免除を意味します。

また、ヘクテモロイは、制限された土地所有権を回復するので、土地に関する権利を根本から取り戻すことができます。

抵当の証としての標石も除去されますから、抵当権の除去とともに、ヘクテモロイの権利確立は、目に見える形ではっきりと宣伝されることにもなります。

これは、ヘクテモロイの大きな経済的権利の復元を意味します。 

②の説では、保護料という名目で支払っていた地代を、免除されることになります。また地代の義務の証だった、標石も除去されます。貴族が進めた植民政策は、その利権を大きく減らすことになったでしょうし、ヘクテモロイの暮らしも楽になったはずです。 

ソロンが行った「重荷下ろし」と「標石除去」は、大きな社会的変化を起こしたに違いありません。それは①の説でも②の説でも変わりません。

しかし、①の説は、借財の返済を免除している点が、②とは異なります。②は、保護料の廃止ですから、保護義務といういわば曖昧なサービスに対する対価を廃止したに過ぎません。貴族は、その気になれば、農民を保護しないこともできたでしょう。貴族は、農民保護にかかる費用をカットすることもできるから、貴族にとって、それほど深刻な変化ではないと思われます。

その一方で、①は、実質的な借財返済の免除ですから、おそらく債権者(貴族などの富裕層)は大きな損害を認識したはずです。

つまり、①の説の場合は、②の説の場合より、ソロンは既得権益側から大きな抵抗を受けただろうと推定されます。ヘクテモロイを①と②のどちらの説で解釈するかは、ソロンの改革の生み出す社会的衝撃の大きさの違いにつながります。

「ヘクテモロイ」がどういう人だったかを、事実としてどう仮定するかは、ソロンの改革を批評する上で、大きな論点であることが、わかると思います。

 

(4)ポエタの考えるヘクテモロイとは 

どんな事実関係を仮定した上で、課題を批評するにしても、その仮定を置いた理由ははっきりさせておかなければなりません。ポエタは、①と②のどちらの説を採用するのか、理由とともに述べなければならない。 

ポエタは考えます。ソロンは、商人として身を立てた人です。ソロンには、ビジネスマインドがあったでしょう。商売を進める上では、利害関係者の利害調整が必要になります。ソロンは、政治家として改革をおこなう上でも、ビジネスマインドを大切にしたのではないかと思います。

また、ソロンは、独裁者として改革をおこなったのではなく、立法措置によって改革を進めました。議会で法律を議決するためには、ある程度、党派の間に入って合意形成をはからなければなりません。

だとすると、ソロンは、改革を進める上で、抵抗勢力とも話し合いの場をもったはずです。その際、①の説を前提におくと、「借財を免除してやりたいから、涙をのんで地代を放棄してくれ」と言って、交渉相手の貴族にとおるでしょうか? 独裁者だったら強引にやるかもしれませんが、そこまでの権限のなかったソロンには、いくら国がせっぱつまっていても、現実的には相当難しいやり方だと思います。

②の説の場合は、さきほども言いましたが、「保護料は廃止するけど、保護義務は問わないよ」とか、説得材料としてのロジックは、あったのではないかと思います。

ただ、それでも、難しかったと思います。単なるロジックでは、なかなか納得しないのは世の常です。ですが、階級対立が激しいことについて、一部の貴族階級は憂慮していたはずです。このままでは、「国がもたない」という危機意識です。ソロンは、元は名門の出ですから、貴族とも相性はよかったと思います。②の説の場合、ソロンは、そういう問題意識の強い有力な貴族の協力を得ながら、説得工作を進めれば、なんとか合意にこぎつけるだけの難易度だったのではないかと思います。

なので、ポエタは、②の説をとります。①の説よりも、現実的な解釈だと思います。

 

3 まとめ 

この記事のまとめです。 

  • ポエタは、失われた歴史的事実に関しては、仮定を置いた上で課題を批評する。
  • ヘクテモロイが何かは、ソロンの改革のインパクトの違いに直結する重要論点である。
  • ソロンのキャリアと政治的権限を踏まえると、②の説(アッティカ農民説)が現実的である。
  • ポエタは、ソロンの課題を批評する上で、ヘクテモロイは、アッティカに植民された農民だと仮定する。 

実際、学界でも、20世紀半ばまでは、①の説が有力でしたが、1970年代以降から、次第に②の説が多数となり、「今日の正統学説」と言われるまでになりました。1980年代以降は、もっといろいろな説が展開されていますが、説明は割愛します。

実は、ポエタは、没落所有土地所有農民が、借財の返済に収穫の六分の一をあてる契約をしたが、払えなくて隷属農民となり、アッティカの植民に身を落とし、現地で耕作に従事し、その収穫の六分の一を債権者に支払っていた、と考える、①と②の折衷説が、ありうるのではないかとも考えています。ですが、それでも、「重荷下ろし」の範囲は、ロジック的な説得材料となり、現実的に妥協しやすい②の説が想定する保護料の範囲だったと考えます。ですので、①の説は完全には否定しませんが、「重荷下ろし」の意味を明らかにする趣旨でいうと、②の説を支持します。

今後、ソロンの改革がどういう課題解決だったかを批評したいと思っていますが、今回は、その予備調査として、ヘクテモロイに関する事実関係について、②の説(アッティカ農民説」を仮定として置きました。

今回は、これまでっ。

 

ポエタ

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<主要参考文献>

アテナイ人の国制」『アリストテレス全集19』橋場弦訳、岩波書店、2014年

塩野七生ギリシア人の物語Ⅰ民主政のはじまり』新潮社、2015年

 

2018年9月7日改

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