課題の教科書

Critical Realism for All Leader

クリティカル・リアリズム試論|現実主義の議論の続き

これまで延々と、「リアリズム(現実主義)とは、至当性である」と書いてきた。果たして本当にそうかどうかは、まだよくわからない。まだ十分に議論が煮詰まっていない。というのも、「問いを自分のものにした時、現実はやってくる」と言った本質論はどこへ行ってしまったのか。自分でもよくわからない。全体の議論は、まだ未整備である。

こじつけて言えば、「問いをもつと、至当な判断につながるんです」などと、とりつくろうこともできる。しかし、その説明には、あまり実感をもてない。「そうだ、それなんだ」と思わず手を打つまで、考えるのを、やめないほうがよい。リアリズムを追求する限り、それが正しい気がする。 

批評によって「至当性」の側面を明らかにするための論点を、思いつきみたいに、並べてみた。 

1.至当性の主体者は誰か

  •  読者
  •  書き手
  •  世間(の誰か第三者) 

2.至当性の目的は何か

  •  現実感をもつ
  •  結果的に目的を遂げる
  •  幸せになる
  •  善に至る

3.至当性に至る道筋は何か

  •  問いをもつ
  •  課題を見つける
  •  課題解決の手段を考案する
  •  課題に取り組む 

こうして、並べてみると、いろいろな御託は並べてきたが、まだ大したことは何もわかっていない。もっとやるべきことがありそうだ。しかし、個別の論点について、凝りに凝って精度を高めるより、一度、ざっくり今後の取り組みの課題を整理してみるのがよさそうだ。その上で、見切り発車でもよいから、どんどん先に進めたいと思う。 

このブログで、批評文を書くという作業は、書くことが考えることと一緒だから、よく考えてから書こうとか、まとまってから書こうとか、そういう他の仕事とは、ちょっと性質が違う。常に現在進行形で、アクチュアルな取り組みとして、しばし、「現実主義とは何か」という、ごった煮な問題に取り掛かろうと思う。

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