課題の教科書

Critical Realism for All Leader

【臨時投稿】8月の目標達成状況|今後の課題

8月中に、トータル100記事を達成することを目標にして、書いてきました。今回が、100記事目です。ギリギリでした。では、目標を達成して、今後は何が課題になるのか。 

ずっと書いてきて、現実に回帰することの大切さに気づきました。我々は、リアリズムを持たなければならない。今世紀に、何の領域が、あるいは誰が、リアリズムの実践者足り得るのか。リアリズムの判定をしなければならない。これが、これまでの取り組みで見出した、批評家としての課題です。我々の標榜するリアリズムとは、現実依存や現状追認ではありません。地に足をつけ、しかし、あらゆる価値観のせめぎ合いを凌駕する、「至当性」を向いた立ち方です。例えば、エドマンド・バークの思想は、常識と良識の両立という政治家の「至当性」を表しています。しかし、そもそもリアリズム(現実主義)とは何なのか。これを明らかにしなければなりません。それと併せて、至当性という概念の意味も、事例に即して判定しなければなりません。 

しかし、リアリズムを実現するにあたって、過去の取り組みの判定だけでは足りない。今まさに取り組もうとする人の課題は、何なのか。問いを自分のものにすると、現実がやってくる。これが、ずっと批評文を書いてきて辿り着いた本質論です。問いをもつことが、現実を召喚する。出てきた現実認識は、課題の素である。つまり、問いによって課題を現実に明らかにすることができる。ここに、批評家としての、もう一つの課題があります。 

そして、現実論として、批評活動の持続可能性を確保することも、私にとって、抜き差しならない課題です。

私は、この三つの課題に取り組みます。テーマは、クリティカル・リアリズムの実践です。 

この取り組みの目的は、善の探求です。なぜ、善の探求か。

クリティカル・リアリズムの実践の柱は2つです。

・課題設定の促進

  課題を生み出す問いかけで、当事者の取り組みを後押しする

・取り組み事例の評価

  取り組み事例のリアリズム(至当性)を判定する 

このようなクリティカル・リアリズムに基づく批評行為の蓄積を、世の中が取り組みの善し悪しを論じるための基盤とし、一種の公共財となしたい。目的と手段の合理性、つまり課題を決定づける「至当性」に関する目線を揃えたい。至当性を向いた個々の課題の議論を積み重ねることで、善の本質的な意味合いを、徐々に形成したい。つまり、具体的な至当性の積み上げを、至高の善にまで届かせたいのです。そして、善の定義、あるいは善の成り立つ条件について、認識を共有したい。それが、善なる公共の実現に役立つのではないか。 

善を探求する道筋は、未だ確定していません。しかし、手をこまねく前に、実践しよう。クリティカル・リアリズムの実践は、善の探求を目的としたアクチュアルな取り組みです。 

以下に、今後の取り組みの方向性をまとめます。

 

1.取り組むテーマ 

クリティカル・リアリズムの実践 

2.取り組む目的 

善なる公共の実現(善の探求) 

3.主な課題 

(1)取り組み事例に関するリアリズム(至当性)の判定

(2)当事者が課題を生み出すための的確な問いかけ

(3)クリティカル・リアリズムの実践を持続させる条件の確保 

4.課題解決の方法 

批評(詳細略) 

*9月1日以降、一部の記事を改定・削除したので、公開記事数は100を下回りました。 

2018年9月1日改

 

 

スポンサーリンク