課題の教科書

Critical Realism for All Leader

クリティカル・リアリズム試論|批評はどのように課題を生み出すか

クリティカルな言葉は、課題を生み出すのに必要だ。たとえ論理的には正しくても、凡庸でしかない言葉を並べてみても、読み手には何の変化も起きない。クリティカルな言葉は、読み手が思わず立ち止まって、考えに耽るきっかけになるものだ。それが、たとえ普通の言い方で、言い表すことができる、普通の事柄であったとしても、正しく言えれば十分なのではない。論文は正しいことが客観的に検証可能な様式で書かれればよい。批評はそうではない。批評家の技量は、読み手を立ち止まらせ、考えさせる言葉を編み出すことだ。

読者に考えさせる、というのは、読者が、ただ漫然と考えて、心中に消えゆく残り火を見送ることではない。批評家は読者を、考えずにはいられなくする。批評とは、読者当人の課題に関わる言葉を突きつけることだ。ひっくるめて言えば、批評とは、読者の生き方に関わり、明日の予定からして見直さざるを得なくする衝撃だ。 

課題を生み出す言葉の問題とはどういうものか。例えば、一団の行く手に居座るがれきの山が道を塞いでいる。がれきの山が問題だ、と一団の者は口々に言った。そして、威勢よく、課題は山を越えることだ、と合唱した。みんな、めいめいに駆け上がったり、ジャンプしたりした。しかし、山はガラガラと音を立てるばかりで、一向に越えられなかった。 

批評家はこう言った。これは、がれきの山ではない。まさに山だ。だから、課題は山を登ることだ。 

一団は、登山道具と食料を調達しに走った。登山につきものの傷病を手当てするための救急箱を町に探しに行った。気象の変化に対応するためのリスクマネジメントのノウハウを専門家に問い合わせた。つまり、一段は、やるべきことがはっきりして、組織的に手分けして取り組み始めた。そして、準備万端、一団が一歩一歩登るごとに、山はその全貌を明らかにし、一団は尾根を渡り、向こうの麓の道に無事に辿りつくことができた。 

正しい課題設定は、現実をどう見るかに尽きる。そして、現実の見方は言葉次第だ。がれきの山も、山も、どちらも同じ山だが、似て非なる言葉の問題だ。がれきの山なら、踏み越えようとする。まさに山なら、登ろうとする。似て非なる言葉は、生まれる課題の大きな違いに結びつく。言葉の問題は、一種の哲学である。いや、それ以上に、クリティカルな、批評の産物である。 

私の標榜するクリティカル・リアリズムは、言い古された現実の見方を刷新し、的確な課題を生み出すための、言葉を紡いでいく作業である。

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