課題の教科書

Critical Realism for All Leader

村上春樹と大江健三郎の作家としての批判の受け止め方

批評文は、他人から批判にさらされることを、承知の上で書かなければならない。批判あるいは非難、もっといえば人格否定みたいな憂き目にあうかもしれない。しかし、それで書くモチベーションを失いたくないと思った。批判はどう受けとめたらよいか。参考として作家の流儀を少しだけ調べてみた。

村上春樹はこう言った。 

「僕は思うのだけど、読んだ人がある部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題が含まれていることが多いようです。」(村上春樹『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング、2015年、P.148、傍点略) 

作品に対する批判、あるいは指摘は、書き手の心情としては受けいれがたい。思わず反発したくなる。しかし、その人が作品を読んでくれている以上、その人の批判は何かしらの書き手に対する示唆を含んでいる。示唆の表現形式が批判という形をとることはあっても、単にネガティブな表現を真に受けない方がよい。その人の批判の表現全体の中のどこかには、きっと書き手として力量をあげていくための課題のヒントは隠されている。それを探り当てるのが、書き手としての生命線だろう。

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大江健三郎はこう言った。

「僕は、たとえば渡部直己という人にいつも批判されるので、名前をよく覚えているんですけれどもね、大体批判されない批評は、仕事をしている作家にとっては意味がないんです。褒められることは大体わかっています。それは達成していることですから意味がない。どんな批判でも、それは両義的におもしろいんですよ。だから、批判してくれそうな人の名を見つけるとその雑誌を買って読むんです。」(大江健三郎柄谷行人大江健三郎柄谷行人全対話』、講談社、2018年、P.160)

批判を成長の糧に変える。作家の飽くなき成長意欲が、批判者に対する強(したた)かさを支えている。そして、大江は、褒めることしかしない批評家を暗に批判している。しかし、重要な点は、批評家が、作家の成長に手をかすことだ。その方法が批判であっても、褒めることであっても、目的が達せられればどちらでもよい。 

村上も大江も旺盛な成長意欲をもった人だろう。なおかつ、読者を大切にすることに、職業合理性を確認している。読者が作家に経済的恩恵をもたらすのは当然のことだが、読者は作家としての成長のための課題のヒントをも、もたらしてくれる。読者から批判されるということは、読み手が作品を受け止めた証でもある。読者に批判されたとしても、それは論評に値するものとして読者に取り上げてもらった結果に違いない。 

大いに批判していただきたい。批判者が射た正鵠を見つけ出す、成長意欲と想像力をもちたい。

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