課題の教科書

Critical Realism for All Leader

パスカルの『パンセ』とAI|「考える葦」から読む計算機開発の背景

AI(Artificial Intelligence:人工知能)が、昨今話題になっている。AIには技術的な限界があり、自ら都度、思考の枠組みを構築して、自律的に思考する機能までは獲得していない。自律的思考を実現するには、人間の身体性をいかに再現するかが重要だという話を、確か、AI関連の技術者が述べている。デカルト(1596−1650)は、人間の精神は、身体と切り離しても、独立して存在すると考えた。デカルト流の人間観で人間の精神を模倣しても、ろくなAIはできないだろう。

デカルトは精神と自然(身体を含む)を分けたが、人間理性の原理の中でしか両者を見ない。同時代の数学者でもあったパスカル(1623-1662)は、デカルトと対談し、デカルトの考え方には違和感を覚えたそうだ。パスカルは、不完全ながら、機械式の計算機を製作している。これは、コンピュータの原型の一つであり、言ってみれば今のAIの祖先である。

AIが現代の神になるとか、ならないとか、言われている。パスカルは敬虔なキリスト教徒であり、ひたすら神を信じていた。自分の開発した機械式の計算機が、将来AIに大化けすることは、多分想像していなかった。そのAIが神だと騒ぎ立てられていて、パスカルが何と言うか知らないが、パスカルの思想に、AIとの親和性があることは否めないように、思える。 

「人間は一本の葦でしかない、自然の中でもいちばん弱いものだ。だが、考える葦である。」(パスカル『パンセ』田辺保訳、教文館、2013年、P.159) 

この言葉をどう受け取るかは、受け取る人の心身の状態によって、かなり違うのではないだろうか。この言葉は、ある時は病者の慰安であり、ある時は賢者の誇りとなる。人間は葦のように、いわば物的な自然物だ。しかし、人間は物的な存在でありながら、知性が宿ることができる。 

「わたしの尊厳の拠りどころとなるのは、この空間ではない。そうではなく、わたしが、自分の思考を正しく導くことができるからである。いくら多くの土地を所有したところで、わたしには、なんのプラスにもならないであろう。空間的に見れば、宇宙はわたしを一点のように包みこみ、呑みこんでしまう。思考によって、わたしは宇宙を包みこむ。」(前掲書、P.75)

多分、パスカルの世界観は、こうではないか。知性は宇宙の中に満ち満ちて、その辺に転がっている自然物をも貫通している。人間も知性に貫かれているが、知性を自らのうちに留め、自ら考える点が特別なのだ。何が言いたいかというと、パスカルが製作した計算機も、一つの知性の貫通した存在だったのではないか。計算機は、人間のように考えることはしない。しかし、計算機は、人間に宿る知性の延長としてある道具なのだ。道具を含め、自然物に、精神的なものの介在を認めないデカルトには、パスカルのような観念はなかっただろう。パスカルが、先駆けて計算機を開発しようとした思想的背景は、「考える葦」の喩えから、仄見えてくる。 

しかし、パスカルは、計算機が「考える葦」だ、とまでは言わないだろう。パスカルにとって、人間のみが「考える葦」であり、特別なのだ。計算機は、人間に宿る知性の、あくまで延長でしかない。計算機は自ら思考しない。AIの理想は、AIが自ら思考することだが、デカルトはおろか、パスカルとても、自律的に思考するAIの登場は、夢想だにしなかったのではないか。

スポンサーリンク