課題の教科書

Critical Realism for All Leader

徳川慶喜と『資治通鑑』|二心殿と呼ばれた徳川最後の将軍|業績と評価について

幕末関係のテレビ番組を見ていたら、徳川慶喜の若い頃の写真が出てきた。パイプみたいな物を口にくわえた、少し洒脱な構えで、小机に向かって肘をついて座っている。その右隣に大きな木箱が写っていて、『資治通鑑』と書かれている。

幕末維新を詳しく調べたことはないが、折々書物に触れた経験では、徳川慶喜の人物像は、ややぼんやりして、明確な印象をもたなかった。「二心殿」と呼ばれたらしいが、心中何を考えているか定かでない人物、と思われていたのではないか。維新後も生き延び、七十を越す長命を保った。 

資治通鑑』は、中国の浩瀚(こうかん)な歴史書である。通読したことはない。史書ではあるが、豊富な政治判断の事例集であり、権謀術数の類いも無数に書き記してある。歴史の激動の中で、あたうる限りの発想力を発揮し、難局に立ち向かおうとした、無数の個性的人物の成功例と失敗例が、ふんだんに紹介されている。この書に学んだエリート層は数多いという。この時代に、日本の指導者層の子息が学ぶのは、当たり前だったかもしれない。 

しかし、慶喜が、この書を何のために学んだか、何を学んだかは、興味深い問いのように思える。マキャベリの『君主論』を読んで、何がどう参考になったか、饒舌に語る人は、マキャベリストにはなり得ない。慶喜が、なぜ肖像写真に『資治通鑑』を収めようとしたか。自分の見識を示すために、史書を大写しにする写真を自慢の種としたなら、若気の至りか、うわべだけの男に思える。将軍候補として英邁の気性をうたわれた男が、果たして拙い見世物に満足しただろうか。 

慶喜が幕末の動乱で、とった行動と下した決断は、私のような素人にとっては、度し難い政治判断である。目的がどこにあったかが、よくわからない。頭脳明晰だったから先を見通せたので、判断が素早かったとしても、それがどういう判断だったのかは、不勉強もあって、具体的なことはよくわからない。

慶喜を、「徳川最後の将軍」とか「日本史上最後の将軍」とか言うのが、世の中の決まり文句になっているが、それは業績の評価ではなく、昔日の名残りを述べたに過ぎない。慶喜は、間違いなく歴史上の人物に違いない。しかし、目的のないところに、業績はないだろう。多くの幕末維新の傑物は、印象深い言葉を残す、雄弁な男である。しかし、慶喜の場合は、無音無言の登場人物として、異彩をはなつ行動だけが目立つ気がするのは、私だけだろうか。

そういう印象が働くものだから、『資治通鑑』を大事そうに傍に置く、若い男の眼の先にうつる何ものかが、なかなか読めてこないのである。歴史的人物は、自らを歴史的必然を実現するための触媒であるとする自覚がなければ、天命を全うすることはないだろう。歴史的人物にとって、歴然とした事実はあっても意図はない、とするならば、歴史書が浮かび上がらせる人物像は、虚像というほかないのではないのか。隠居後、写真撮影に没頭した最後の将軍が、若き頃、肖像と史書を写真に写しこませた自意識は、維新後の虚像となった自己をユーモラスに予見してみせたかったのだろうか。

スポンサーリンク