課題の教科書

Critical Realism for All Leader

天上大風|良寛の書|詩情を取り戻すおまじない

昔、天上大風という書を目にしたことがある。良寛の筆になるコピーである。言葉の専門的な解釈は知らない。よい言葉だ。書の筆跡は、格式ばったところがなく、飄然と力が抜けている。気持ちが混んできたときは、四文字を目に浮かべると、少し気が抜ける。

良寛は、世捨て人みたいな人だが、子どもと遊んだり、村民から食材を分けてもらったり、世と隔絶して生きたわけではない。若い頃、出家して、歌詠みや漢詩作りに勤しみ、書家として知られたそうだ。何を思って出家したかは知らないが、何か大事にしたいものがあったのかもしれない。 

私などは、歌を詠もうにも、詩を書こうにも、一向に興が乗らない。詩情がわく時というのは、いくら待っても来ないのである。世情の喧騒に振り回されて、詩情を感じる時間は得られないだろうが、世間と隔絶しても文化活動など成り立たないだろう。良寛さんは、一般庶民と交わりながら、作品をのこした。出家しても、世を捨てるという角張った通念に対するこだわりは、もたなかったのではないか。 

心の内側にうっすらと白露が付いていて、いつ落ちるとも知れない瞬間が続いている。鼓動で揺れて落ちたら、底にたまった水面が音を立て、波紋を広げる。波紋の行く先を追いかけて、言葉にしたら、心が何を感じていたのかが、やっとわかる。 

多分、そういうのが詩情なのだが、そういうものは街中のショッピングモールで出会うのでもなければ、閑居して机の引き出しの中に見つけるものでもない。詩情は探しに行って、手に入れるようなものではない。空の上を、風が大きな音を轟々と立てて渦を巻いている。その様を思い浮かべ、耳で聞けば、それだけでいい。詩情を遠くに求めるのは、やめよう。それはやって来るものでもない。人間はいつも詩情を抱えている。それが言葉になる時と、ならない時があるだけだ。 

昔日を思い浮かべれば、どの記憶も詩情である。その時には詩情を自覚していないだけだ。しかし、思い出に浸るだけなら、今現在起きていることに絶望する羽目になるかもしれない。詩人は今起きている現実を語る人だ。詩情はその時を生きるための活力を生み出す。肩に力が入ったり、些細なことにこだわったり、無理に頑張るから、生きにくさを感じてしまう。雲の上では、そんな人間的な諸事とは無関係に、時をおかずに風が吹き渡っている。天上大風は、肩に入った力を抜いて、詩情を取り戻すための、一種のおまじないではないだろうか。

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