課題の教科書

Critical Realism for All Leader

欲を少なくすれば足るを知る|実践困難であることの理由|欲しいものは仕方がない

欲を少なくすれば、不満もなくなる。そういう話をよく耳にするが、欲しいものは仕方がない。欲を抑えられないから、困っているわけである。ご高説を聞いても、そういう凡俗の悩みは、なかなか消えないのだ。

こう考えてみてはどうだろうか。欲しくても手に入らないものは、もともと欲しくないのだ。本当は欲しくないものを欲しがるのが、間違いの元である。こういうと身も蓋もないのだが、案外人間はそういう、不条理な志向性をもつものではないか。手に入れる資格がなくて、欲しがる人がいるし、手に入れる資格のある人は、欲しがる前にだいたい手に入れている。 

理屈をこねると、こうだ。本人が手に入れることに合理性があれば、その合理性に従って、手に入らないわけがないのである。今一瞬は手に入ってないが、これから取り組めば手に入ると言うかもしれない。しかし、本当に手に入れるのが合理的なら、そんなことに取り組まなくても、世界の合理的メカニズムが働いて、欲しい物は今すでに手元にあって当然なのだ。合理主義は、結果をプロセスのせいにはしない。今起きている現実が、合理的メカニズムの結果なのだ。今起きているのは、まだ中途だ、と言うのは予言者だろう。

こういう人間観あるいは世界観は、合理主義の中でも、特に原理主義的な類いだろう。合理主義というのは、人間の理性を本性として信じる立場だが、原理的に突き詰めると、人間のあり方を一気に愚かしい姿に見せる。だから、こんな教説に謙虚に耳を傾ける人は少ないだろうし、自ら原理主義的に合理主義を徹底する人はなおさら少ない。 

しかし、まれとは言え、人間としての理性を確かに備えた人は、自然と不条理な欲望はもたない。それが、本当の満足を実現しているかどうかはわからないが、悟るというのは、そういう人のことだろうと思う。そして、もっと皮肉なことに、そういう理性あるいは境地を欲しがる人もまた、あまりに少ないのである。それは、現に手に入れているからか、手に入れる資格がないことを悟っているからか、その判断は、しても仕方がないことだろう。現に欲しがっていないと言う現実が、合理的メカニズムの結果、つまり一種の運命であり、人間の通奏低音の類ではないか。 

合理主義者なら、現実を目の前にして、誰も不相応な背伸びをしようとはしないだろう。しかし、理性的境地を手に入れる資格が無いと悟っている人は、そうであるが故に、今日も、合理性を上回るレベルのものを欲しないわけにはいかないのも、一つの合理である。欲しいものは仕方がないのである。人間の大きな悲しみである。

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