課題の教科書

Critical Realism for All Leader

経過の振り返り|芸術批評における褒める技術|小林秀雄の名言

批評文を書いていて、よいときもあれば、悪いときもある。今日は調子よく書けたな、と思えば、今日は調子がのらない、という日もある。芸術分野の批評を書いていて、切り口は三つあることに、気づいた。一つは作品、もう一つは作者、そして三つ目は鑑賞者。

作品そのものを語ろうとしても、余り多くは語れない。絵画の、部分に凝らされた趣向や全体の統一感を強調したりして終わる。やはり、作者がどういう時代の人で、どういう生活を送った人か、という観点で、作者が作画に臨んだ際の姿勢、考え方、工夫に沿って、話を展開しないと、現実感が生まれにくい。三つ目の鑑賞者を、芸術批評の中でどう位置付けるかは、正直に言って、まだよくわかっていない。鑑賞者の鑑賞に役立つ観点を持ち出せばよいのか、鑑賞者がこれまでその作品をどう解釈してきたかを踏まえればよいのか、その辺はよくわからない。 

もう一つ、重要なのは、批評対象を褒める姿勢である。以前の動物当てクイズを読んで、じゃあハイエナはどうなんだ?という突っ込みがあり得ることは、容易に想像した。 

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「死肉が好きで、獲物を横取りする、陰気な動物、とネガティブに言えば、誰でもわかるではないか」と言いたくなるだろう。敢えて架空の質問に答えると、ネガティブなステレオタイプが出来ている批評対象も、美点を拾い上げなければ、実像は見えてこないということだ。これは信念みたいなものであり、動物当てクイズで証明できたとは思わない。あのクイズは一種の喩えであり、完全無欠な喩えがあるなら、それは言葉通りに言うことでしかない。比喩の効果は、言葉の遊びに宿る言葉以上の力である。私はそれを適宜用いて悪いとは思わない。信念の実証は、比喩においてではなく、私が今後の批評活動全体の中で成し遂げるべきことだ。拠り所は、全ての存在は善を志向するという世界観である。これは、プラトンの哲学に影響を受けている。 

敢えて権威筋の言葉を借りると、「批評とは他人をほめる技術である」と言った人の批評に学んだ。この言葉は、池田雅延「問うことと答えること」(小林秀雄講義『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編、2017年、P.210)の中で紹介されている小林秀雄の名言である。単なるお人好しではない批評の原理原則として、この名言を理解しようと努めると、美点を言わねば実像が見えない、という点に集約されてくると思う。これは論理的にわかりやすく言えることではない。ささやかな文章経験の中で実感したことだ。 

誰かが作った作品を持ち出して、その欠点をあげつらったら、芸術批評にならない。その作品が芸術に値しない代物なら、芸術を批評したことにならないから、そもそも芸術批評の仕事をしていないに等しい。そもそも論評に値しないものは書かなければいいのである。禁忌をおかして言うと、非難しなければ言いたいことが言えないのは、批評的思考の貧困である。そういうこともあって、私は論評に値するものを批評するつもりであり、今後も美点を見つめることに徹していきたいと思う。その芸術作品の鑑賞者にとって、読むに値する批評は、時間をかけた芸術鑑賞が無駄ではなかったという満足をもたらし、そこから活力が沸いてくるのを実感できる批評ではないだろうか。

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