課題の教科書

Critical Realism for All Leader

クリティカル・リアリズムの核心|諸現実への問い|本質と問いの照応

クリティカル・リアリズムは、現に善く生きるための批評のあり方である。その核心は、「問い」である。

人間は、創作する存在である、そう定義する。「創作」には、芸術、工芸、商品開発、サービス提供、など、あらゆる人間活動を広く含む意味をこめている。なんらかの成果を目指す営みを、全て創作として考える。

創作の成果を得るためには、課題を見つけなければならない。課題は、本質の見方次第で、出てくるだろう。本質とは何だろうか。本質は、言葉ではそのまま言えない。図像にもできない。しかし、本質に触れる実感は、時々ある。何かわからないけれども、確かにそこにあるだろう、というものである。 

問うことは、本質に触れた時にとる態度である。本質に触れているけれども、本質をそのまま語ることはできない。だから、問うしかない。そして、問うことができれば、それが本質に触れることになる。本質と問いは、常に裏表の関係にあり、一方があれば、もう片方がある、という照応が成り立つ。この関係を利用して、本質はわからないが、問うことはできるではないか。そういう合理的な算段をもって、問いを大事にしようと考えている。

問いによって、本質に対する見方をとることができる。本質は、諸現実の中に潜んでいる。諸現実の見方を決定づけるのが、問いである。諸現実の中に潜む本質に対する見方が的確な時、課題が生み出されるだろう。問いの立て方によって、見方が変わる。問いの立て方が、非常に重要である。それが、難しい。 

問いを立てるにしても、課題を生み出すにしても、すべて言葉が問題になる。思考が停止した時、言葉も動きを止めている。脈々と言葉が流れ出す時、思考は活発な活動を開始する。本質に対する見方、と言っても、どの言葉の糸口を選ぶか、という問題に帰着する。問いの立て方は、言葉の問題として取り組むべきことである。 

創作する存在としての人間が、善く生きるためには、的確な問いが重要となる。その、的確な問いを立てることを、批評を通してやりたい。クリティカル・リアリズムは、問いの立て方を通し、諸現実に対する見方を試し、言葉の源泉を掘り当て、凝固した言葉の塊を溶かしながら地上まで汲み上げ、揺るがせにできない課題を形成することを目指す。そして、善く生きることの実現に寄与したい。 

問いは論理的には導けない。ふとした問い。その瞬間にかかっている。そして浮かんだ問いを吟味したとき、それが的確か否かがわかる。そういうことに、難しいことだが、取り組みたいと思う。

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