課題の教科書

Critical Realism for All Leader

わからない、と言い切る根拠|問いの抽象性|リアリズムの欠如がもたらした失敗

その後、わからないこと、の根拠を求めて、数日考えてみた。結局、わからなかった。その根拠もわからない。だからと言って、わからないことの根拠は、わからないのだ、とは論理的には言えない。ただ、現にわからなかった、という実につまらない経験だけが、手元に残った。何の成果もない。徒労に終わった。

内心、抽象的なことなら、考えるのは得意だろう、とたかをくくっていた。そんなことは、なかった。具体的な題材がなければ、考えを進められないらしい。いろんな書き方を試そうとして、考えたことをそのまま書くのが批評であるなら、いろんな考え方を試す、それがこれまでの取り組みの方向性だった。題材のない抽象論に挑もうとしたら、失敗に終わった。そんな考え方は、今の私にはないらしい。

わからないことの根拠が明確になれば、それはそれですごい知なのではないか、そう考えていた。何がわかることで、何がわからないことか、それがわかれば、知的活動は随分とはかどるだろう。そういう、あわよくばの期待もあった。しかし、そんな完璧に近い知など見つけることはできなかった。 

半知半能が、人間の現実だ。その限界を逆手にとるのが、知恵だ。しかし、知恵を見つけることはできない。せいぜい、偶然ばったり出くわすだけだ。知恵を生み出すアプローチはない。抽象的なことへのアプローチは見つけようがない。何か具体的な目標に近づくアプローチが、どこかにあるだろう、というだけだ。人間の無知、あるいは知の深層がわかったら、方程式はあっという間に解けてしまって、生きるのも厭うほど、完璧な世界が生まれるだろう。思えば、そんな世界には住みたくなかった。だから、解けないことを思い悩むことは、やめよう。そんな欲しくもないものを手に入れようとした奇を怪しみ、二度と同じ袋小路には入るまい、と思うだけだ。思い上がったら、鬼神にやっつけられるだろう。 

確か、ソクラテスは、知恵の源は神の恵み、と言ったそうだ。人間は、知恵の源を、我が物にはできない。せめて、神の恩恵にあやかることならあるかもしれない。つまり、具体的な目標があって、幸運にもアプローチを思いつくかもしれない。しかし、それを可能にする完全な方法論、方程式みたいなものは、人間に分かるわけがなかろう。ソクラテスが、神の恵みと言っているのは、そういう意味かもしれない。 

神の恵みは、半知半能に身を置かなければ、受け取ることはできない。リアリズムに立ち返ろうと思う。それが主題だった。

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