課題の教科書

Critical Realism for All Leader

近況

ここ数日、気分転換が起こりました。とある行事で、子どもたちのにぎやかな声にさらされているうちに、すっかり現世の人になった気分でした。そして、批評を書くというモードがすっかり、リセットされました。

いつぞやには、書くことには事欠かないと、豪語しました。訂正します。そうでもない。人との交わりで、書けなくなる、とすると、書くというのは、極めて不健康なことだ、ということがわかりました。ここ数日、解毒されました。 

しかし、書かないわけにはいかない。もう一度、批評を書くというモードを立ち上げなければならない。今、なんで書けないか、というと、心に何のわだかまりもないからです。悩んだり、人生を儚むことがないと、書けないんですね。どうしたものか、と思います。もう一回、悩むことにでもします。 

サッカー・ワールドカップのベルギー戦の結果について、書きたいところですが、今これを書いているのは、まだ試合前の7月2日です。今は、もうこれ以上書きません。ただ、書くことの幅をもつ、という意味では、時事ネタは、貴重な書く動機のひとつになりそうです。今後も、時事カテゴリーを増やしたいと思います。 

気分転換が起こる前に、悩みかけていたことを思い出しました。なんか、立派なこと、偉そうなことを書かねばならない、そう意気込んでいて、よいのだろうか。そういう基本姿勢の問題です。先月頃から、開き直って一番書きたいことを書こうとして、スパートをかけたわけですが、その初心みたいなものを忘れかけていた自分がいました。 

別に立派なことは書けません。読者には申し訳ないことです。このブログを書くということは、すべて自分の姿勢の問題との格闘です。いつの間にか、大切な基本を忘れてしまう。それをまた思い出す。結果は、読者に評価なり、判断してもらう。自分にできることは、それしかない、という気がしています。 

上手くやってやろう、というのが一番よくない。自分の意思は那辺にありや、です。自分の意思はわかっているようで、わかっていない。意思が定まってこそ、課題も自ずと定まる。若干、ふわっとした、今の意識の中でも、残っている大事な覚えは、それです。 

で、お前の意思は何だ?なんでこのブログを書いているんだ?という質問はありうることだと思います。色々あるんですが、煎じ詰めると、読んでもらいたいから。そういうことになります。 

今回は、間の抜けたダベリみたいになりました。こんなものを投稿してしまった。というところから、悩みを再開したいと思います。では、また。

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