課題の教科書

Critical Realism for All Leader

クローデルとハマーショルドの再考|俳句という存在確認の契機

先般、クローデルハマーショルドの、共通項をたくさん並べた。俳句、神秘主義、職業の特質、キリスト教。しかし、並べただけで終わり、というわけにはいくまい。二人の共通項を結ぶ点は、俳句に結ばれているのではないか、と思う。なぜ両人とも俳句を愛したか。

俳句は、客観写生が基本と言われる。ありのままを言葉でそのまま写し取ることだ。そのためには、対象をよく観察しなければならない。俳句は自然の美をうたうものだ。自然は、曖昧模糊で多様な姿を見せ、一つに定まることなく移ろうものである。だから、観察といっても、ただ見れば足りるのではなく、不定の変化の中に、確たる内実を見定めなければならない。句作に取り組む時の姿勢は、謙虚である。謙虚の意は謙遜ではなく、ありのままの事実を受け入れることだ。謙虚な姿勢で臨む者にしか、自然はその内実をありのままには明かしてくれない。 

俳句は、客観的事実の問題と、主観的態度の問題が交差する、人間精神の課題を映し出している。あえて断じて言えば、俳句の課題は、いわば理性と信仰の問題と類比の関係にある。客観と主観、あるいは理性と信仰という矛盾対立の調和ということが、人間存在にとって切実な課題となるとき、その課題は何によって解決されるか。

問題は、理想がきたす矛盾への直面であり、課題は、思い直して後の矛盾の調整である。課題の解決は、現実への回帰を契機とする。その契機は、思考ではないし、単に信じる心でもない。体験である。課題は、体験において現実を再発見し、自分の足元を見つめ直すことで、解決されていく。体験においてつかみとった、ありありとした本質、あるいはその直覚のみが、人間に真の現実を了解させる。そして、現実に回帰する体験はどこから生まれるか。自ら問いかける態度である。 

ハードワークな職業は、問題から課題の解決に至るプロセスに忙殺される。忙しい、とは、心を失うことだ。それでは、現実に回帰できない。体験に根をおろすことの、具体的な契機がなければならない。人間が心を取り戻すための契機として、俳句という営みがある。俳句は、自然への問いかけを通して、自己の存在を確認する契機である。 

かの両人は、職業上、国際政治の厳しい課題に、日々直面したであろう。キリスト教を信じたのならば、理性と信仰の関係に思いをはせたこともあっただろう。その内面における神秘主義的傾向から、自己の存在に根をおろす体験を重視したに違いない。こうした人物が、俳句という具体的な営みに、自己の存在確認の契機を求めたであろうことは、想像に難くない。 

彼らが、俳句によって自然と交わした挨拶は、自然の内奥に問いかけ、自己の存在の基底を自ら問うものであっただろう。

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