課題の教科書

Critical Realism for All Leader

ベートーヴェンの交響曲の音楽性|性格・境遇・評価|現代における古典としての存在感

ベートーヴェン(1770-1827)。ドイツの作曲家。楽聖と称されるが、気難しい癇癪持ちとも言われ、事実に反して神聖化されがちな天才の典型として、よく引き合いに出される。

ベートーヴェンは、息子に過剰な期待をかけた父親によって、スパルタ式の音楽教育を受けた。幼少期から専門的な音楽知識を集中して叩き込まれた境遇が、その後の社会人生活への適応力の乏しさの背景にあるかもしれない。しかし、その後、彼の音楽的創造力がいかんなく発揮され、多くの優れた作品が世に出るのに、幼少期から仕込まれた音楽的技法が十分な素地を提供したのは、想像するに難くない。 

この人は、その素質あるいは生い立ちから、運命づけられたであろう、生活の苦労を味わいながら、不屈の姿勢で作曲に邁進した。彼の作品は今や古典的名曲としてクラシック音楽ファンから崇められているわけだが、どんな古典も当時は現代音楽だった、という巷間に流布した決まり文句が、なぜかこの人のことを真っ先に連想させるのは、私だけに当てはまることだろうか。人口に膾炙したマメ知識は、楽聖と称される作曲家への、最大限の賛辞として用いられるのだろう。 

数年前、ベートーヴェン交響曲の公演を聴いた。ラトル指揮、ベルリンフィルの演奏だった。その公演で、何かの解説を読んで、ベートーヴェン交響曲は、いわばロックミュージックだという、気づきを得た。ロックに古典作品はあるか。ロックには詳しくないので定かではないが、ロックの本質が、ロックという生き方にあるとすると、古典といういかにも保守的で大人びた権威の象徴となってしまうことは、おそらくロック的な生き方からは、最も遠いことのはずだろう。 

ベートーヴェン交響曲を聴きながら、彼が、聴衆の耳が向いた方向に弾幕を張り、見えざる地の底から刻むような魔手を招き寄せ、切れ切れの断章を大胆に乱発しながら、聴き手のお決まりの感想など聞きたくもないと言わんばかりに、感情の流れを撹乱し、思考を圧倒する、その表現は、いわゆるロックではないか、と確かに思えた。 

有名なマメ知識を上手に使いこなすベートーヴェンファンは、この人の作品を永遠の古典となしたいだろう。それは、わかる。しかしこの人の音楽は、永遠の現代音楽なのだとしなければ、この人のある意味頑固でロックな生き方を、あっさり無視することになりはしないか。 

どんな古典も当時は現代曲だった。それは、正しい。ただし、昔も今も現代曲であり続ける作品は、そう多くない。ベートーヴェンは、そういう稀有なる作品を生み出したと評価することこそ、ベートーヴェンへの最大の賛辞なのだと、ここに記しておきたいと思う。

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