課題の教科書

Critical Realism for All Leader

閑話休題

この1週間あまり、ややハイペース気味の文章を書き続けてきました。いろんな文章の書き方を試しながら、書いている、という狙いもあります。ただ、ここしばらくの文章は、本当に書きたいことを、そのまま書いている気がします。よくありがちな、読者層を設定して、ニーズを具体化して、文章の組み立ては・・・、どうしてこうして、などとは考えていません。

理由は、どんな読者が読んでくれているか、全くわからないからです。だから、本当に書きたいことを書くしかなかろう、というわけです。書いていることは、ある意味独断です。どうぞ批判してください。テキストは、自由な解釈に供される。そう腹をくくって書いています。 

芭蕉の写生句は、江戸期に撒かれた近代俳句の種である。そう、どこかで書きました。種本があるわけではないです。ただ、発想の類比ならあります。丸山眞男の『日本政治思想史研究』です。十年以上前に、一回読んだきりなので、中身は正確には覚えていません。考えたままを書かせてください。

日本の近代の思想的兆候は、すでに江戸時代にあった。しかも、それは官学が意図的に引き起こしたのではなく、官と対峙する民の学徒によって現れていた。丸山は福沢諭吉を高く評価したらしいです。福沢も、国の発展における民の力を重視した人です。江戸期における経済の発展、商品経済の浸透が、民力の発展の背景にある。商品経済とは、自由と合理主義、この近代的精神の二大要素が、芽を出し実を結ぶための、地面に積もった堆肥である。明治期の指導者の透徹したリアリズムは、単なる西洋からの輸入品ではない、民の地力が育んだ新しい日本人が咲かせた一つの成果であったのではないか。 

江戸期に徐々に進行した、武士の経済的凋落、そして官の衰退は、黒船の到来をエポックメイキングとして、日本という国が、一気に近代化に必要な技術を西洋から移入し、十全に活用するに足るほどの理念を、民が主体となって育むための、準備的プロセスに他ならなかった。(具体的に、何が民の担い手だったか、という議論は必要な気がしますが・・・。)

日本人は、外圧で動く、とか、西洋のモノマネだ、とか言います。私はその見解を生理的に否定して終わりにする、という態度はとりたくありません。なぜなら、見方によっては、その通りだからです。しかし、私は大事にしたいことがある。批評を手段として、批評の対象の美質を明らかにすることです。単なる手当たり次第の非難でしかないような批判は、したくない。日本の近代化を批評対象とするなら、そこに働いている美質、善いものを虚心に見つめたい。そして、現代日本における我々の課題とは何なのか。そこに辿り着かなければ、意味がないだろうと思っています。

今回、オチはないです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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