課題の教科書

Critical Realism for All Leader

なぜ自由と合理主義は商品経済の発達を契機とするか|日本近代の補論(の補論)

つい先ほど、前述の、日本の近代の補論。書き残したことがある。なぜ江戸期における商品経済の発達が、自由と合理主義という近代精神の土壌となったか。 

キーワードは、「商品」の「経済」の発達である。 

まず、自由。 

ビジネスモデルの主たる要素は、「商品」「顧客」「(商品価値の)提供方法」、の三つである。江戸期においてもそうだろう。三つのうち最後の、「提供方法」は、割り切っていえば、商品と顧客の結び付け方であり、前二者と比して、いわば従たる要素である。 

主要な概念手段は、「課題」である。 

商人は、まずもって、儲けたい。しかし、商品経済がある程度発達している以上、何か安物を売りつけるだけでは、買ってもらえないから、儲からない。商人は儲けたいという動機はなくせないが、単に売るのが課題ではないことに気づく。商人は、顧客と世間との間の関係を想像する。お客様の何気ない挙措から、その奥ゆかしい世間への配慮を読み取る。顧客と世間との間の事情、その中に潜む問題を探り当て、商品を解決策として、顧客に提示する。商品は売れ、儲かる。真の課題は、いわば顧客第一の想像力を発揮することであった、とでもとりあえず言っておこう。 

ここで何気なく機能している、「課題」とはなんだろうか。課題の機能は、自分(商人)、と広い世間(顧客と狭義の世間との関係)との間を、自由に行き来できる往来手形みたいなものである。さっきの例では、商人は、商品を解決策として提示し、いわば三方よしの関係を生んでいる。ここで商人は、自分の狙いをそのまま言えば、顧客も世間も喜ぶと言う関係を構築したことになる。商人は、商品が売れようとする時、自分のいわば卑賤な動機(儲けたい)が、課題を媒体として、顧客に贔屓にされ、世間の承認のもとで、高度な自由化を達成したと実感するだろう。 

少しまとめて言うと、発達した商品経済において必須となる、「課題」なる概念が、機能としてはたらき、商人の動機を高度に自由化する。商人の成功者としての実感は、「自由」という、やや理想形に近い概念を、新しく表現する道を探ろうとするだろう。そこに、近代の概念である「自由」が、しっかりと社会的心理に根ざすための土壌が形成される。 

次に、合理主義である。 

先の商人の成功例で、ほぼ説明は事足りるだろう。商人は顧客と世間の事情を想像し、解決策を組み立てる。また、商人自身の目的と、顧客、世間の方向性との間の論理的整合性を意識して、商品そのもの、あるいは商品の売り方を企画・設計する。それは、つまり、想像力の発揮の先に、頭を使う理性のはたらきにほかならない。その成果の積み重ねとともに、「合理主義」という体感を身に帯びるようになるだろう。 

その上で、「経済」が重要になる。 

散発的に儲けるだけなら、想像力ぐらいで足りるだろう。しかし、もっと大規模に儲けたい。どう考えるか。商人なりの合理主義の体感は、経済全体のサイクルや変化を、合理的なカラクリとして認識する、一つの理性的世界観を組み上げることになるだろう。つまり、法則的に動く「経済」世界という大局的な見方が成り立つ。そうでなければ、大規模に儲からない。経済的世界観の形成は、商品経済の発達を抜きには語れない。ここへきて、合理主義は、世界観として根を張るようになる。 

以上、実証性のない理論的空想みたいなものかもしれない。ただ、試しに空想してみると、江戸時代だって、日本人には自由と合理主義の体感くらいあっただろう、という推論は可能なようだ。それが、私の思考者としての体感である。説明調で読みにくかったかもしれない。御免。

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