課題の教科書

Critical Realism for All Leader

夏目漱石『草枕』の非人情|グレン・グールド、天才ピアニストの愛と孤独

草枕』。カナダ出身のピアニスト、グレン・グールドが愛読した。「非人情」を主題とした、日本の近代小説を、なぜ愛したか、それは知らない。

この小説は二度、三度読んだ。書いてあったことを正しく記す自信はない。その必要もないだろう。脳裏に浮かぶ不確かな記憶それ自体を、正確に記すことしかしない。 

山雨に閉ざされた奥地を、男は徒歩で登り、火照った体のまま、投宿しようとした旅館の敷居をまたぎ、暗い屋内に人気(ひとけ)を探す。わずかな会話を経て、男は、旅につきものの不安を胸中にかすかに感じつつ、身を安らうべき居室に通されるところから、物語はとつとつと語られる。 

ある女が登場する。身の上について多くを語ろうとしない男は、身の上のあまり定かとは言えない女と自分との間の距離を、旅館の敷地内にとどめながら、思想を巡らす。人情、つまりは人の主観や作為、感情といった、自我を悩ます人間的なもの、これらを遠ざけようとして、男は、山中に旅し、おおらかな自然の中に非人情を求め、自分の身の置き場所を求めているのだろう。しかしながら、その自意識は、謎の揺らめく女の度し難い行動によって、平衡をおびやかされ、なかなか到達点を見ない。 

自然の繁茂するただ中にあって、人の心は真っ暗で大きな虚空を広げる。水墨画を鑑賞する立場に耽溺して、描き込まれた旅人の心境になれた者などいないだろう。孤独は不意にやってくる。孤独は人間を試す。孤独が恐ろしいのは、自我の本当を思い知らされることだ。孤独を愛する者は、自我を愛する者以外にない。自我と女を等価におくか否かの判断を迫られたとき、男は迷い、さすらうような旅人となる。 

かつて、グレン・グールドドキュメンタリー映画を観た。数多の緻密な演奏が録音として積み上げられた背後では、一人の男が温めた多くの女との恋愛があった。永遠の美に仕えようとした芸術家としての自我と、女性との愛情のやりとりを背景として演奏を続けられた孤独な男との間には、外からは見えない葛藤があっただろう。しかし、恋愛上手の演奏家と恋愛下手な演奏家との間で、演奏に優劣が定まっているとは聞いた試しがない。 

自然美を求め、あるいは芸術美を求めても、自我の置き所を見い出すことはできない。そもそも、完成した人格が、芸術を求め続けはしないだろう。完成しない自我が芸術の完成を求め、命を縮めてでも作品を送り出す姿は、悲愴ではあるが、真の芸術から微弱な風が吹き込む時の温度を肌で感じることができる。しかし、芸術家は、その生き様において、幸運にも美の極致に到達した後も、自我の完成を見ることなく、去るのみである。 

草枕』を読みながら、グレン・グールドは、誰を思ったか。非人情の世界を冀(こいねが)ったか。完成されざる人格は、作品の完成美をもって、完成した自我との交換を、美神ならぬ誰か、女性に求めたか。芸術家の願いの成就は、人情の影の中に置くほかないのだろうか。

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