課題の教科書

Critical Realism for All Leader

グレン・グールド|天才芸術家の宿命と死因

グレン・グールド(1932ー1982)。カナダ出身。数々の逸話とともに今も語りつがれる、稀代の名ピアニスト。 

独自の奏法でバッハの古典的なピアノ曲を、斬新に解釈し直し、音楽を再構築していく演奏は、演奏家が作曲家を兼ねたかのような独創的意趣に満ちている。マルカートを多用する奏法は、音の一つ一つが克明に浮き彫りにされ、一気に芳醇なニュアンスに満ちた表現世界を創り出す。

鑑賞者は、その比類ない演奏の出所を探ろうとし、グールド本人の際立った個性を見出すに至る。夏もコートを肌身に離さない、録音中にハミングを歌う、等のスタイルは、つとに有名である。 

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天才は個性なのだ、というシンプルな公式が、この人物にはよく当てはまる。ニュアンスは、人間臭い、のとほぼ同義である。技法に優れていたのは間違いない。しかし、技法はその天才に必要なものだが、それだけでは十分ではない。全人格的なニュアンスが、その人間の深奥からにじみ出なくてはならない。 

天才は無敵、ではないだろう。全神経を集中させて取り組んだ演奏は、本人のもてる資源を徐々に消費していったに違いない。精気が衰えていくさまは、グールドの肖像写真を年代別に並べていけばわかる。単に年をとった、というだけでは、受け止められない顔相の変貌がある。五十歳にして脳卒中が死因となったピアニストに、死の間際、まだ演奏したいと渇望するいとまはあっただろうか。 

グールドの演奏は胸を打つ。なぜ、ピアノという同じ楽器でありながら、これほど他を寄せ付けぬ個性を放つのか。グールドがピアノに向かい演奏に熱中する様は、ある種異様なものを感じさせる。つまり、その姿勢である。彼の姿勢が、ピアノという愛器に連結した瞬間、精神的エネルギーは、はじめの極点から一気に放射し、聴くものを巻き込んで陶酔のるつぼに誘う。あの過剰なほどのニュアンスは、このピアニストの愛器にかける偏愛ともいうべき情熱的な姿勢から生み出される。それは、技術とか技法とかいう次元の話ではないだろう。 

グールドは、才能を浪費しなかった。消費者の購買動機をおもんぱかって、売り言葉を並べたちょっと気の利いた作品を並べる芸術家は、才能を浪費する。それは芸術家として悲劇というべきのみだ。才能がグールドを蕩尽した。グールドが向かった先は、芸術家の悲劇ではなく、芸術の高らかな勝利である。 

グールドは、真の芸術の中に包まれていただろう。その中に入り込む余地もない、我々鑑賞者は、ただグールドを芸術の勝利の象徴として、その高みを見上げ、賞賛するほかない。命とは何かのために費やすものである。天才ならずとも、その人間的な真実を、胸に秘めないわけにはいかない。

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